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【読書】宮澤喜一と竹下登-戦後保守の栄光と挫折- [読書]

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「宮澤喜一と竹下登-戦後保守の栄光と挫折-」(御厨貴)がなまら面白いので、 折に触れて読んでいる。

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政治史学者の御厨氏は、政治家などからのインタビューを中心に研究をするオーラルヒストリーの第一人者。で、今回は宮澤氏と竹下氏のいわば対比列伝のようなもの。

少壮の大蔵官僚として、池田勇人などとの関係を通じ、戦後間もないころから国家の意思決定の中枢にいた宮澤と、地方議員から、佐藤栄作、田中角栄と派閥を泳ぎ抜き、 一歩一歩総理への道を登っていく竹下。

そのキャリアや政治に対するスタンスは、あまりにも対照的だ。

宮澤には圧倒的な知識とエリートとしての自負、そして合理主義的な判断力があった。

大蔵省の後輩として池田勇人に仕えるが、どこか、部下と言うか、妙に上から目線なのが面白い。当時の大物政治家である緒方竹虎が死んだときに、渋る池田を弔問に行かせたり、 岸内閣の安保改定の際には、通産大臣だった池田を動かして対応のための臨時閣議 を開かせたり、その判断は常に的確である。

しまいには、「イケダユージンという男は、どうして総理になんかなれたんでしょうね」 などと言ってしまう始末。

合理主義である一方で、自分が活躍していない時期、もしくは不本意な時期については、一切黙して語らないのも、らしいといえばらしい。

ちなみに宮澤が語らなかったのは、一つは、GHQとの交渉。もう一つが、三木内閣から プラザ合意のころまでの約10年間、自民党の派閥政治が成熟し完成した時期とほぼ重なる。 派閥均衡でキャリアが決まる自民党政治は、後に派閥の長になる宮澤にとってさえ、あまり 面白くはなかったようだ。

もう一方の雄、竹下は、宮澤のようなブリリアントな要素はほとんど無い。

しかし政党や国会という仕組みをほとんど芸術的なまでに可視化し、システム化し、 そして法則化することに長けていた。

例えば竹下は、政治家や官僚の言動を採点し、そのついた地位を時系列で追い、 グラフ化することで、誰が何年後どのような地位に就くべきかを全て意識していたし、 国会や選挙の日程も常に確認できるように準備していた。

だから、竹下にとって、政治は全て結果が分かっているお見通しの世界なのであり、 国会での議論や政策論争は、お見通しの世界に花を添える演出に過ぎなかった。

意見が無いのではなく、はじめから決まっている意見をいつ言うかというタイミング を窺うことが、竹下の真骨頂である。

「タフネゴシエーターといえば、実は強力なネゴシエーターじゃないんだ。ほんとうは 相手の立場まで下がる、あるいは相手の立場を引き上げていく能力があるということ なんだ」

などの発言からは、宮澤とは全く異なる、しかし高いレベルの知性を感じる。

さて筆者はあとがきで、「政治家は常人ならず」と喝破した。

宮澤も竹下も、政治家として経験を積む中で自分の得意技を磨き、常人の壁を破り、 そして国家の指導者として一時代を築いたと言えるだろう。

21世紀の日本の有権者は、政治に常人を求めすぎているのかもしれない。 しかし、指導者が常人と同じなら、何も指導なんぞしてもらわなくてもいい。

課題が山積する日本社会は、常人から生まれ、常人を超えていく政治指導者を 育てる風土が必要なのかもしれない。それが何なのかは、分からないけど。



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