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【読書】経済成長は不可能なのか [読書]

「経済成長は不可能なのか」(盛山和夫)読了。

著者は経済学者ではなく社会学者だが、まともな知識人がまともに考えてまともに
書いた本な感じがして、面白かった。

テーマは、失われた20年という長いデフレ不況の要因と解決。

これまで、様々な専門家や経済学者が議論してきた論点。行財政改革の不徹底や、
企業の生産性の鈍化、金融政策の不備などなど、その言説は百花繚乱。

さながら、どこが卵か鶏やらの錯綜したウロボロスのようである。

著者は、「経済学説なるものは自明に正しいものはほとんどない」とした上で、
「経済現象のメカニズムにさかのぼりながら、この論争にあえて切り込んで」みる。

そして、行財政改革や歳出削減が必ずしも長期のデフレ不況を解決するわけでは
ないことを皮切りに、規制緩和など、巷間言われている要因を一つ一つ検討していく。

まるで結び目を解きほぐすようなその思考過程の行き着く先は、民間の資金需要、
特に企業の設備投資意欲の減退であり、つまり企業の「儲かる」見込みに関する
悲観的な見通しである。

さらにその要因を突き詰めれば、国内経済の空洞化をもたらす「円高」と市場の縮小を
予想させる「少子化」にたどり着く。

そこで、著者はまず1985年のプラザ合意による急速な円高に着目した。失われた20年
を、円高の「調整のために支払われた残酷なコストであった」と言い切ったのである。

この認識の下、日本経済をどのように経済成長の軌道に乗せるかという検討が進む。
経済成長をしなければ日本人全体の生活水準は維持できない。課題は4つ。

・デフレ不況
・財政難
・国の債務残高
・少子化

いずれも、あちらを立てればこちらが立たぬという課題ばかりである。

著者は、これら全てが重要であるとしつつも、その解決の順序を明確にしている。
つまり、デフレ不況と少子化である。

ユニークなのは、デフレ不況からの脱却と少子化の緩和という目的達成のためには、
政府規模の肥大化や国債残高の増加を一切恐れていないことだ。

デフレ不況から脱却し、少子化緩和の見通しが立てば、企業の投資意欲は回復し、
生産性も向上することから経済成長を果たすことができる。それによって財政難や
国債残高の減少を進めればよいというロードマップが敷かれている。

そして、本書の最終章では、ロードマップの実施により経済成長を果たす場合の
シミュレーションが、いささか駆け足ではあるが示されている。

おそらく、日本の政策論争で足りないのは、施策のパッケージとその順序と時間軸、
すなわちロードマップなのだと思う。戦略といってもいいかもしれない。

多くの経済学者ないしは政策担当者の意見は多く一般論として正しいのだと思う。

しかしそれは課題解決の一部に過ぎず、しかも経済成長を果たしていくために、時間軸の
どの段階で行われるべきか明示されてないのは、確かに不満であった。

その意味では、個々の経済学のタコツボに閉じこもっている学者や専門家の意見を
縦横に駆使して戦略を作って見せた本書は、知的に自由な本として楽しめた。

大きな目的のために時間軸を作って粛々と進めていく、わかっちゃいるけど、
自分の人生には、なかなか応用できないわなあ。。。

などと、読了後つい嘆いてしまった初夏のある日なのでした。

樽一雑感 [新宿]

さくら水産も、蔵元居酒屋清龍も、健心流もそれぞれ良さはあり悪くは無いが、
新宿のいわゆる居酒屋で好きなのは、やはり樽一である。

樽一は、複数人で行くのも良いが、基本的には一人でカウンターの方が多い。
たいがいは飲み始めで、その日のその日の自分への慰労である。

毎度毎度の凝った突き出しをアテに、枡に注がれた浦霞の金ラベルを口に含み、
転がし、喉を通すと、細胞がざわめくような感覚すら覚える。

何も浦霞の金ラベルが世界で一番美味い酒というつもりはないが、たまに樽一にくるときは、
仕事を終えて疲れていながら、どこか気はそぞろで、しかも素面だ。

そんな気分を、酒は上手に射抜いてくる。

ここでメニューを見て、その日の刺身を一つ、今時分ならいさきだろうか、好みの
刺身が無ければ、カウンター一人客用に、いつも鯨の刺盛りがあるので、それを頼む。

目の前には、大きな酒の冷蔵庫があり、思い思いのラベルや瓶を見れば、
それ自体が肴のような気がしてしまう。

おしむらくは瓶ビールがサッポロラガーからキリンの一番絞りに変わったことだが、
なに、日本酒がこんなに美味ければとりあえずビールは要らない。

刺身と酒が無くなったとき、思案のしどころで、もう少し、飲むか、食うか。
財布やら体調やらなんやらかんやらの、悩ましい、総合的な判断が必要とされる。

樽一は、刺身以外にも、ハリハリ鍋をはじめとする鯨料理をはじめ、
何を食っても、そして飲んでも概ね美味い。

それは分かっている。

ただ、また来たときのために食べたいものを取っておこうと、後ろ髪を引かれながら
勘定を済ませるのもまた、一興だとは思っているのである。

次に樽一に行くのは、いつのことやら。


加計問題は政治主導の仇花か?! [政治]

総理の関与や元文科次官の素行、様々な文書の真偽、果ては国家戦略特区制度自体の是非など、幅広い論点が問題になっている加計学園問題ですが、「首相の権力VS官僚支配」というユニークな切り口で解説した記事があったのでシェアします。

≪参考記事≫
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170606-00130674-diamond-soci&p=1

90年代の行政改革などを通じ、首相および官邸の機能は著しく強化され、その分責任も明確になりました。それまでの内閣が、省庁間の縦割りとそれと結託したいわゆる族議員などによってリーダーシップを発揮することが出来ず、国家の意思決定として大きな課題となっていたことの反省に立ったものです。

官僚支配から脱するための「政治主導」として、この改革は、小沢一郎氏をはじめ、現在野党にいる政治家の多くもその推進に尽力し、かつ賛成してきました。その意味では、安倍総理や、菅官房長官をはじめとする官邸が政策の前面に立つ今の「安倍一強」という現状は、制度上予定されていたものと言えるでしょう。

おそらく、この制度を元に戻して族議員と官僚による縦割り体制にしたいと思う人はいないはずです。しかし、現在の制度の運用で、加計学園関連で明らかになった問題として、一つが、説明や対応における政権側の軽率さ、もう一つが万年野党として政府批判のみに終始する野党の姿勢を筆者は挙げています。

確かに、現在の野党は政府攻撃に終始し、自分達がどのような政策でどのように政権を運用するのかの説明は無いため、多くの国民にとってそもそも選択肢になりえていません。また、政府与党が軽率でいられるのも、野党が選択肢にではないことを見透かしているからでしょう。

加計学園問題のような事柄が国会で優先され、地道な政策や法案の審議が遅れるのは、国家にとって損失です。

政府は違法性が無いのであれば、真摯にその旨を説明すべきだと思いますし、野党は、安倍政権にダメージを与えるという不毛な行為に現を抜かすだけでなく、まず自分達が政権を担える存在であることを示し、政権に緊張感を与えるべきだと思います。

スープは熟練を必要とする、、、 [食べ物系]

初夏の夕暮れ、街並みに煙が立ち込めて鼻をくすぐると、一口大にやや欠けるくらいに
切った様々な部位の肉を串に刺し炙った代物を、ふと思い出す。

まあ、焼き鳥とかやきとんの類ですな。

手ごろな大きさの肉に噛みつけば、程よく焼けた塊が、あるときは肉汁を放つ繊維として
ほぐれ、あるときは芳醇な脂で弾け、あるときは蠱惑的な歯ごたえが愉しく、またあるときは
野趣溢れる臓物のコクと香りを解放する。

日本酒もやビールも悪くないが、ここはホッピーかレモンサワーで流し込むのがよい。

何もその手の店を端から端まで食い歩いたと言えるほど詳しくはないが、人間も中年に
差し掛かれば、諸々食らった経験だけが降り 積もっている。

有楽町のガード下、登運とんで国会周辺のデモに参加してきた運動家たちとつまんだり、
新宿のカミヤで急かされるように勢いで皿を重ねたり、渋谷の鳥竹で大ぶりな串にかぶり
ついたり、学生時代立川で友人のバイト先の鶏レバーに感動したり。

ちゃんとした串焼きは、やはり美味いものである。

かつてフランスの食通ブリア・サヴァランは、

『スープは熟練を必要とする、焼肉は天才を必要とする』

と述べたという。

異国のことは不勉強で知らないが、日本では、陋巷に名もなき天才が溢れているのでは
なかろうか。などと一本の焼き鳥を思い出しては感じる次第。

給料でも入ったら、また、経験でも積み重ねに参ることにしよう。

事実は一つ。では真実は? [その他]

一方から見れば、「違法な天下りの推進」だし、
もう片方から見れば、「面倒見のよさ」。

一方から見れば、「破廉恥な出会い喫茶の常連」だし、
もう片方から見れば「真摯な貧困調査」。

一方から見れば、「岩盤規制の温床」だし、
もう片方から見れば「行政への介入を守った」。

面白いのは、いずれも事実は同じだということ。
見る視点が異なるから、評価は180度異なる。

誰もが、自分ないしは自分の意見に同調する視点が唯一のものだと、
考えがちなのではないか。

とはいえ、自分と異なる視点の人も、この世にはたくさんいて、
別に彼らが悪の権化というわけではない。

大事なのは、自分がどの視点にいるのか自覚しておくことと、
その視点が唯一絶対のものではないと認識しておくことだと思う。

互いに自分の視点をずらしてみれば、異なる視点同士で、
意見が一致するところを見出すことも不可能ではないはずだ。

もっとずるく立ち回るのならば、それらをわきまえた上で、
相手や目的に応じ使い分けるのが よろしかろう。

ミステリーでは、真実は一つといわれるが、どうもそれには懐疑的だ。
実際は、事実は一つで、真実は視点の数だけあるのではないか?

そんな藪の中めいたことを考えた今日この頃なのです。


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