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不足は労働者、だけ?北海道のホタテ漁業について [労働]

北海道のホタテ漁業に関する記事が興味深かったのでシェアします。記事によれば、北海道猿払村は最高級のホタテを産出し、住民の平均所得も港区、千代田区、渋谷区に続く、全国4位。その一方、労働力不足のため、ホタテ漁業の将来には黄色信号が灯っていると指摘されています。

【参考記事】
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-08-24/OV2UX06TTDW901

住民の平均所得は高いものの、ホタテ加工場の作業賃金は、最低賃金。賃金を少々上げても人が来るとは限らず、外国人技能実習生の活用にも限界があります。また、職を紹介して移住者を募ろうにも、賃金面で折り合いがつかないケースが少なくないようです。そんな状況からか、省力化の設備投資も積極的に行われず、せっかくのホタテの好漁場も、宝の持ち腐れになりかねません。

八方塞がりのような状況ではありますが、人手不足が問題であるのなら、待遇を上げて人を集めるか、設備投資で省力化を図るかのいずれかしかありません。いずれにも資金が必要ならば、借り入れか、自己資本調達かの違いはあれど、資金調達に関するファイナンスの問題です。また、事業所の経営体力に問題があるなら、事業所相互の統廃合を通じ、資本を集約する必要があるでしょう。

この記事だけで即断するわけにはいかないでしょうが、労働力不足の問題を嘆きつつ、漁業をビジネスとしてどうするかという視点が、関係者に希薄であるように感じます。その意味では、不足しているのは、実は労働者ではなく、普通のビジネスマインドを持った経営者なのではないかと、ふと考えてしまいました。

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潜在成長率がゼロ?日本の労働力不足について [労働]

日本の労働人口について紹介した記事が印象的だったのでシェアします。記事によれば、製造業や運送業などは、従前から人手不足が指摘され、経済成長に負の影響を与えるリスクが高まっていることに加え、サービス業の人手不足がさらに広まることが懸念されています。その一方で、企業の需要予測は悲観的であり、積極的な採用が難しいことも現実です。

個人的には、省力化および労働のユニバーサルデザイン化への投資が最優先だと思います。記事では、IoTやAIの活用を目指す企業においても、それを活用できる人材がいないことが問題とされています。しかし、現在多くの人がPCやスマホを使っている時代、インターフェースの改善の余地はまだまだあるはずです。また、高齢者や女性が働きやすい労働環境整備や労働管理の方法も、まだ研究し尽くされたとはいえないのではないでしょうか。

さらに、労働環境の適正化も課題です。違法な超過残業などの是正は、まだまだ道半ばのはずです。省力化投資や労働環境の適正化を通じ、少ない人数で高い付加価値を提供することができたならば、労働者の賃金も上昇させることができ、マクロ経済的にも良い効果をもたらすでしょう。このような労働環境であれば、技術や専門知識を持った有能な外国人労働者は、むしろ日本で働くことを望むはずです。

もっと言えば、人手不足を理由に廃業せざるを得ない企業から、顧客や技術、ノウハウなどを継承させるためのM&A支援も必要になるでしょう。

いささか順不同につらつら並べてみましたが、世界に例の無い少子高齢化を歩む日本は、いわゆる課題先進国です。これまでの成功体験に捕らわれず、かつ、悲観しすぎず、出来る取り組みを一つ一つこなしていくことが必要なのだと思います。

【参考記事】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170623-00000054-reut-bus_all

大上段の空中戦が空回りし続ける、日本の外国人問題 [労働]

外国人移民問題に関する国内の意見の相違や問題をまとめた記事が面白かったのでシェアします。

≪参考記事≫
http://blogos.com/article/218898/

かねてから、経済団体は人手不足による移民の必要性を訴える一方、治安悪化の懸念など移民への反対論も根強く、移民について語る文化人の発言が左右問わず批判されるなど、意見は錯綜しています。

これら大上段の移民賛否の議論が巻き起こる日本は、まさに、筆者のいう「日本が好きだ、日本で働きたいという人たちが完全に置き忘れられている世界」なのだと思います。

実際、日本には、通常の外国人労働者に加え、留学生、技能実習生、日系人、難民、特別在留資格に基づいて滞在する外国人など、様々な外国人がいます。加えて、すでにコンビニや飲食店などのサービス業をはじめ、その他の産業でも、外国人を見かけるのが当たり前になっています。

その意味では、日本は移民を受け入れるか否か、という段階はとうに過ぎていると言えそうです。

かつて小泉純一郎氏は、総理大臣時代の会見で移民受け入れの是非について問われた際、すでに日本にいる外国人の状況に関心を向け、その環境整備の必要性について述べました。
それから10年以上。

在留管理の一元化など制度的な改善は一部みられるものの、技能実習生のトラブルや留学生の逃走、政治難民ではない在留者の扱いなど、外国人を巡る問題は山積です。まずは、様々な事情で日本にいる外国人の存在を認め、彼らの生活の実態を知り、制度的な改善やその程度を考えなければならないと思います。

与党PTが65歳を「現役」に。なすべきことは山積だ! [労働]

与党自民党内のプロジェクトチームが、高齢者が働ける社会作りについて提言をまとめました。これによれば、現在高齢者と分類される年齢の一つの目安である65歳を「現役」に、70歳を「ほぼ現役」ととらえ、それに即して社会制度を考え直すべきとのことのようです。

少子高齢化が進んで労働人口が減少すること、社会保障給付の負担を抑えること、実際に意欲と能力のある高齢者が少なくないことなどから、この方向性には合理性があると思います。一方で、健康状況や経験など、高齢者の状況には個人差が大きいことから、ただ現役世代として働け、と声をかけるだけでは、様々な無理が生じることは間違いありません。

提言を現実にうつすためには、職場環境のユニバーサル化は不可欠です。

例えば、目が弱い人向けの情報表示やディスプレイの開発、足腰が弱った人が作業しやすいオフィスの配置や機械による作業の省力化、長時間連続して働けない人のための勤務時間や職務フローの考え方の整理、さらに現役世代の健康管理の推進など、やるべきことは少なくありません。

高齢者の働きやすさをきっかけに、例えば妊娠中の女性や障害をもった方など、誰もが働きやすい労働環境を考え、そして積極的に投資すべきだと思います。さらに言えば、今後少子高齢化が急速に進む中国など、中心国、先進国にビジネスモデルとして輸出する仕組みも、併せて考えていくべきです。

少子高齢化というと負の側面が強調されますが、日本経済の仕組みを変える機会として捉える視点も持ちたいものです。

≪参考記事≫
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170413-00000077-asahi-soci

電通の過労自殺に関する、個人的かつ勝手な雑感。 [労働]

広告代理店大手電通における過労自殺が話題になっています。

本件、辞めればよかった、逃げればよかったという本人の意思や行動に関する意見、過労やパワハラなどの状況を認知して適切な手を打たなかった会社の責任を問う声、そもそも月百時間程度の残業時間を過労ということにも問題があるのではないか、など、様々な見解が飛び交っています。

ただ、個人的かつ勝手な感想を付け加えるのであれば、長い人生における人々の反応を想像すると、自殺という選択肢は、主観的な自我を防衛するためのものとして、十分にあり得るのではないかと思っています。

仮に退職などを選択した場合、確かに、ご本人は亡くならずに済んだでしょう。しかし、ご家族をはじめ、周囲はその方をどう見るでしょうか。「過労死しなくてよかった」という声よりは、おそらくですが、「せっかく入った会社を辞めるなんてもったいない」「なんでもう少し頑張れなかったのか」「しがみつけば事態が好転したかもしれないのに」、そんな、いわば失敗者としての烙印を押す声を聴くことの方が、圧倒的に多いのではないかと推測します。

そして、そのような烙印は、その会社で働くことを上回る成功を周囲に認めさせない限り、いやそれ以後でも、彼女が生きている間ついてまわるはずです。

入試や就職において努力して成功してきた人間にとって、そのような汚名は、そしてその汚名が人生において続くことは、耐え難かったのではないでしょうか。彼女は、一時的にせよ失敗者としての烙印を押されるくらいなら、成功者として他人から評価される時点で、その主観的な自我を守り、自分の人生を終えたかったのではないかと、勝手ながら想像してしまうのです。

もちろん、そのような願望は、追い詰められた結果であり、心身ともに落ち着いた状況での判断ではないかもしれません。しかし、仮に落ち着いた状況であっても、失敗者という周囲からの烙印と自分への失望は、とても大きな心の傷になったでしょうし、その傷を乗り越えるのは、かなり骨の折れることであるのは間違いないはずです。

確かに死ぬことは悲劇です。ただ、生きていさえすればこの方が必ず幸せになれたと楽観的に考えることも、難しいのではないかと思ってしまうのです。企業の労務管理等の改善は当然必要ですが、自殺は優れて個人的な話であり、制度的な改善には限界があるのかもしれません。

さて、私は、亡くなられた方と面識がありません。したがってここに書いたことは、勝手な想像、妄想に過ぎないことをお断りいたします。最後に、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご家族の方には心よりお悔やみ申し上げます。

【参考記事】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161007-00000121-jij-soci