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『悪魔を憐れむ歌』 [その他]

本日発売の第二巻および第一巻の増刷分から、マンガ、『悪魔を憐れむ歌』の執筆協力をさせていただくことになりました。

ただ殺すのみならず、関節を折り曲げ、遺体を折りたたんだ状態にしてしまう連続猟奇殺人事件「箱折犯」。その真相を追う刑事と、なぜか隠蔽を試みる警察組織、そしてその被疑者であろう医師を巡るサスペンス作品です。

稠密な絵柄や、日常に潜む狂気を感じさせる人物たちの台詞、そして箱折犯を軸とした物語の展開も興味深いですが、個人的には、一巻巻末「せめてマンガの中だけだは、感じる痛みを謳歌できますように」という作者のメッセージに強く魅かれています。

例によって巻末に名前を記載していただいているようなので、もし手に取った際にはそっと微笑んでくださいませ。

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突発性刑事手続基礎知識①~逮捕って何?:3つの誤解から~ [その他]

刑事ドラマや事件報道でよく聞く「逮捕」。

悪いことをして警察に捕まる、というイメージを持つ人が多いと思いますし、それはそれで全くの間違いではありません。ただ、もう少し正確な意味やニュアンスを押さえておいたほうがニュースを理解したりフィクションを楽しんだりできるのではないでしょうか。そこで、「逮捕」について、3つの誤解という切り口から簡単な解説を試みました。

◆誤解1◆逮捕の目的は犯人を懲らしめることである

 犯人を懲らしめるのは、逮捕ではなく刑罰です。

 刑罰は、事実を調べ(≒捜査)、刑事裁判に訴え(起訴)、裁判(公判)で有罪判決が確定した犯人に対し、はじめて科されるもの。逮捕は、刑罰のはるか前、そもそも犯人が犯罪を犯したかどうかの証拠を集める、捜査段階の話です。怪しい人を誰でも逮捕していいわけではなく、ある具体的な犯罪を犯したという、相当の理由がある被疑者が対象となります。

 しかもその目的は、被疑者が逃亡したり罪証隠滅したりするのを防ぐため(刑事訴訟法199条、60条)。逃亡はわかりやすいですが、罪証隠滅と言うのは、例えば、証拠書類を破棄したり、証人になりそうな人に口止めを働きかけたり、被害者を脅したりするようなことを指します。

 したがって、どんな極悪人であっても、逃亡や罪証隠滅のおそれが無い人を逮捕するのは、違法です。また、逮捕による身柄拘束は刑罰ではないので、捜査に支障のない限り、与える不利益は刑罰よりも少なくあるべきと考えられます。刑罰によって極悪人を懲らしめるには、捜査によって証拠を集め、刑事裁判で犯人の言い分も聴く機会を十分に与え、有罪判決を下した上でなければなりません。

 悪人を懲らしめるには、時間と手間がかかるものなのです。

続きはこちら


タグ:捜査 起訴 公判
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問題意識の素描 [その他]

社会的分業の進化と生活のアウトソーシング化によって、
人は、自らの生活能力を減退させつつある。

通常は、そのことに気づくことすらないだろうし、
その流れをとどめることは誰にもできないだろう。

なぜなら、それは便利で自由な生活だからだ。

便利で自由な生活のどこが悪いのだ。
面倒なこと、いやなことは誰だってしたくない。
分業とアウトソーシングが進めば、その費用がかかる。
みんな、生産と消費を拡大し、経済成長のマッチポンプが
成立する。ある意味、いいことづくめだ。

こうして、人は主観的な万能感に浸りつつ、
客観的にはどんどん無能力化していることに、
気づこうとはしないし、誰も教えようとはしない。

それどころか、経済は需要に従い、主観的な万能感を助長する
コンテンツを手を変え品を変え提供し続ける。
しかも最近は、年少者が大きな市場となっている。
年少時代から、消費社会の中で育ち十分な万能感を身につけた
「保育器の中の大人」(岸田秀)が、こうして大量に栽培される。

そしてある日突然自分の無能力に気づき、驚愕する。

なぜ、私の意思が阻害されるのだ。

万能感にとって自分の意思がかなわないということは、
自分に対する不当な侵害以外の何者でもない。

敵は、他者なのだ。

そのとき人は、自由、もしくは考えられる美名の下に、
自分に不当な侵害を与えていると考えられる者を、
情け容赦なく排除しようとするだろう。

「神は自己だ。僕は絶対だ。」(夏目漱石「行人」)

こんな言葉は、明治よりも平成にこそふさわしい気がする。
夏目漱石は、坂の上の雲を追っていた時代に、いったい、
何を見ていたのだろうなあ。

やれやれ。

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いわゆる「保毛尾田」問題雑感 [その他]

かつてバラエティ番組の人気キャラクターだった「保毛尾田保毛男(ほもおだ・ほもお)」が、男性同性愛者を嘲笑の対象にしたとの批判を受けた問題。リアルタイムで番組を見て大いに笑っていた世代である自分としては、窮屈な時代になったと思う反面、当時も悩んだり苦しんだりした人がいたに違いないとも思い、複雑な気持ちになりました。

ただ、番組で傷ついた人々が声を発し、その声に対し表現側が公的な説明をするという仕組みができることは、率直に良いことだと思います。

現在でもそれなりの影響力を持っているテレビや新聞、雑誌その他のメディアでは目に見えない多くの表現規制があるはずです。その一方、例えば福島第一原発事故を巡るいわゆる放射能デマのように、産業や生活への風評被害を煽り、困惑した人々に対して、多くのメディアは誠実な対応を怠ってきたとは言えないと思います。

仮に傷ついた人がいたとして、声が大きい影響力ある意見には理由も説明も無く屈して表現の旗を降ろし、無視できる声に対してはいかに彼らが傷ついたとしても無視し続けるという態度には、好感が持てません。

大切なのは、表現をした人、表現に傷ついた人が、表現の意図や表現で生じる弊害などについてきちんと意見を交わし、問題点を整理することでしょう。その上で、問題となった表現そのものを差し止めるのか、表現を残した上で謝罪や賠償を通じて傷ついた権利の回復を図るのか、表現そのものも残すのか、きめ細かい対応を取るべきなのだと思います。

少し周りを見回せば、自分にとって不愉快な表現はメディアに満ち満ちています。しかし、それが個人的な感情に過ぎないのか、社会的な問題の一つなのかは、なかなか判断が難しいところです。また、その表現にどのように対応すべきかも、千差万別だと思います。その意味では、唯一の正しい正解があるとは限らないはずです。

だから、緊急性が高い場合を除き、一つ一つのケースで議論を重ね、かつそれをできるだけ公開することによって、少しずつコンセンサスとルールを作っていくことが求められるのでしょう。ともあれ、かつて笑っていた「保毛尾田保毛男」から真面目なことを考えさせられるとは、当時を振り返ると隔世の感があります。。。

【参考記事】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171013-00000113-sph-ent
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進まぬ実態。犯罪被害者への賠償と補償 [その他]

犯罪被害者への経済的支援の記事が印象的だったのでシェアします。

【参考記事】
https://news.biglobe.ne.jp/trend/1001/bdc_171001_2420581420.html

犯罪被害者が経済的給付を受ける主な制度として、一つには、国の犯罪被害者等給付制度、もう一つが犯人に対する別途の民事訴訟があります。また、民事訴訟を補完するものとして、一部の重大犯罪では刑事事件の審理をそのまま継続して損害賠償について審理する、損害賠償命令制度があります。

ただ、いずれも、金額面の上限や、手続きの複雑さ、そして何より犯人の財産や資力の不足から、十分な手当てが受けられていないのが現状です。

記事によれば、損害賠償や示談金を満額受け取った被害者はゼロ。一部北欧などで採用されているとされる、確定判決があれば国が税金でそれらの金額を肩代わりして払ってくれる制度などを紹介し、被害者支援のさらなる拡充を訴えています。

個人的には、刑事訴訟での審理が進み、心証がある程度形成された段階で、有罪判決を待たずに、被告人の財産処分を一定限度制限する仕組みを作り、賠償の資力を確保する方策を考えてもよいと思います。また、独禁法違反や税法違反などの経済犯罪や組織犯罪における不法収益の没収を強化し、他の犯罪被害者へ補償する原資としての基金を設けてもよいでしょう。

犯人に賠償させる仕組みの強化と、社会的に被害者を支える仕組み、車の両輪が必要なのだと改めて思いました。

タグ:犯罪被害者
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