So-net無料ブログ作成
検索選択
その他 ブログトップ
前の5件 | -

事実は一つ。では真実は? [その他]

一方から見れば、「違法な天下りの推進」だし、
もう片方から見れば、「面倒見のよさ」。

一方から見れば、「破廉恥な出会い喫茶の常連」だし、
もう片方から見れば「真摯な貧困調査」。

一方から見れば、「岩盤規制の温床」だし、
もう片方から見れば「行政への介入を守った」。

面白いのは、いずれも事実は同じだということ。
見る視点が異なるから、評価は180度異なる。

誰もが、自分ないしは自分の意見に同調する視点が唯一のものだと、
考えがちなのではないか。

とはいえ、自分と異なる視点の人も、この世にはたくさんいて、
別に彼らが悪の権化というわけではない。

大事なのは、自分がどの視点にいるのか自覚しておくことと、
その視点が唯一絶対のものではないと認識しておくことだと思う。

互いに自分の視点をずらしてみれば、異なる視点同士で、
意見が一致するところを見出すことも不可能ではないはずだ。

もっとずるく立ち回るのならば、それらをわきまえた上で、
相手や目的に応じ使い分けるのが よろしかろう。

ミステリーでは、真実は一つといわれるが、どうもそれには懐疑的だ。
実際は、事実は一つで、真実は視点の数だけあるのではないか?

そんな藪の中めいたことを考えた今日この頃なのです。

その心余りて言葉たらず [その他]

先日ふとだらだらと和歌を読む機会があり、いろいろあれど、
やはり在原業平が好みであると分かる。

高校時代教科書で読んだのがきっかけ。

それとなく面白く感じ、小遣いを工面して『伊勢物語』全文を買って読んだり、
国語の課題作文を全て伊勢物語調の擬古文で書いてみたり。

伊勢物語の中身や和歌の細かい文言などはほとんど忘れてしまっていたが、
老舗すっぽん屋の使い古した土鍋から立ち上るような、和歌の香気だけが、
そこはかとなく思い出される。

いろいろあるけど、最近の気分では以下の三首。

  月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして
  
  忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見むとは

  つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日けふとは思はざりしを

古今集の割には技巧が少なく、直球なのが良い。
また、背景事情を知らなくて誤読しても、それなりに意味が通じるのも素敵だ。

古今集の序文では、編者の紀貫之に、

「その心余りて言葉たらず しぼめる花の色なくて にほひ残れるがごとし」

などとdisられていたが、三十一文字で完成しきった世界の中より、
むしろ追いかけても実在の無い残り香にこそ、心乱される思いがする。

そんな春の夜、業平の歌をもう一つ口ずさみながら眠りにつくとしよう。

  惜しめども春のかぎりの今日の日の夕暮にさへなりにけるかな

おやすみなさい

「酵素」食品に効果はナシ?!忘れがちな基礎知識。 [その他]

「酵素」が含まれた食品に関する記事が面白かったのでシェアします。

管理栄養士の方が語ったところによれば、元々体内にはアミノ酸から「酵素」を合成する仕組みがあること、加えて、健康食品に含まれるとされる「酵素」も、消化の過程でアミノ酸に分解されるとのこと。すなわち、日常生活でバランスよくたんぱく質(アミノ酸)を摂っていれば、わざわざ「酵素」を特別に摂取する必要は無いそうです。

また、食材の加熱等で「酵素」が失われ、消化吸収に負担がかかるという指摘については、でんぷんの糊化(お米を炊くことなどですね)などを例に、そもそも一般に、加熱調理をした方が消化吸収がよくなると回答しています。

これらの知識は、考えてみれば中学校の理科や家庭科などで習う、基本的な内容のはず。しかし、日々の忙しさにかまけ、ついつい忘れてしまうのでしょう。健康の課題を解決したいと思うのは誰でも同じですが、治療が必要な病気でも無い限り、栄養のバランスを保ち、暴飲暴食を慎むことが、何よりのソリューションなのかもしれません。

【参考記事】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170312-00000016-mai-soci

覚書:新しい中世 [その他]

僕らの誰もが望まない結果、生活水準の低下。
ジャーナリズムは国民のニーズに応えようと懸命なのだろう。

閉塞感の打破。分からないものへの不安。敵はどこだ?

敵は、僕らが依存している社会システムの融解にある。
信頼構造の喪失。

古代ローマを滅ぼしたのはメンテナンスの低下に伴う、
社会システムの融解だったと思う。

ローマが衰退から滅亡にいたる中、社会システムは寸断され、
経済規模は急速に縮小した。

欧州、北アフリカ、中東、小アジアに及ぶ地中海経済圏は、
小規模村落の自給自足型経済へと。当然、生活水準は下がる。

古代ローマ時代の生活水準に戻ったのは、ルネサンス以降、
約1000年後のこと。

高い生活水準を維持するには、高度に分業化された、
複雑怪奇にして精密な、社会システムが不可欠である。

そして、精密機械がそうであるように、
社会システムは複雑であるほど脆弱だ。

その維持に必要なのは、構成員相互の信頼関係と、
耐えざるリストラ、メンテナンス。

複雑な社会システムは、細分化された分業を前提とする。
個々人は、社会全体のごくごくわずかな一部にコミットすることしか
できない。

矮小な認識しか持たない個人が社会の総体をイメージするには、
荷が勝ちすぎる。

自分の矮小な知識経験で理解できないことに対し、
そして自分の理解できない領域で自分の運命が決められるという
不安に対し、人々は誰しも、大きな苛立ち、無力感を強いられている。

これが現状の閉塞感の尻尾だ。

さらに悪いことに、高い生活水準は、主観的な万能感を助長させる。
私は悪くない、のだ。

そして、個人の矮小な認識は、社会システム全体に対する想像力を、
惜しみなく奪う。メンテナンスなど、及びもつかない。

衰退期の古代ローマにおいては、生活水準の低下に伴う社会不安、
自信、信頼構造の喪失を、キリスト教が吸収し、暗黒の中世が生まれた。

中世では、閉塞感を打破するため、人々は生贄の「魔女」を屠る。

21世紀の我々も、正義の名において、「魔女」を屠り続けている。
あるときはタレントであり、あるときは名も無き犯罪者であり、
またあるときは政治指導者であり。。。

新たな暗黒時代を繰り返しているのだろうか。

それとも、いつの日か、信頼構造を立て直し、
高い生活水準を享受し続けることが出来るのか。

その鍵は、僕らの自覚にあると思う。

「新しい中世」という言葉が、
異様な現実味を帯びているのを感じざるを得ない。

4コマ漫画で話題。元原子力安全委員長の本当の責任は? [その他]

元原子力安全委員会委員長の班目氏のインタビューが印象的だったのでシェアします(末尾)。

現在、福島第一原発事故時の様子やその際の率直な心情を描いた4コマ漫画が話題になっている班目氏。政府の姿勢の限界を指摘したり安全委員会の諸先輩を批判したりするその様子からは、事故の当事者という意識がやや希薄ではないかと感じることは否めません。

確かに、原因究明よりも責任追及を求める世論や、本来蓋然性の判断と決断であるべきリスクについて、有無と是非だけが声高に議論される現状も含め、原発事故の原因究明と再発防止対策に関する日本人の自浄作用への絶望も、理解できないわけではありません。

ただ、原発の再稼働が政治的に進む国内事情に加え、新興国を中心に海外での原発の建設が進むこと、国内外の老朽化した原発のメンテナンスや廃炉など、原子力技術の必要性が無くなることはないでしょう。

廃炉や危機管理も含めた原子力技術で世界に貢献することが、原発事故を経験した日本の責任ではないかと、個人的には考えます。福島の原発事故を起こしたのも日本人ですが、もっとすごい事態になっていたかもしれないところを、「よくぞあそこで収めた」のも日本人です。

いたずらに世を慨嘆するのではなく、必要な原子力技術をいかに維持し、普及できるか、政府の危機管理体制をいかに改善するかが問われます。事故対応を経験した貴重な専門家である班目氏の責任は、むしろ今後にこそ果たされるべきではないでしょうか。

【参考インタビュー】
http://blogos.com/article/177441/

前の5件 | - その他 ブログトップ