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いわゆる「保毛尾田」問題雑感 [その他]

かつてバラエティ番組の人気キャラクターだった「保毛尾田保毛男(ほもおだ・ほもお)」が、男性同性愛者を嘲笑の対象にしたとの批判を受けた問題。リアルタイムで番組を見て大いに笑っていた世代である自分としては、窮屈な時代になったと思う反面、当時も悩んだり苦しんだりした人がいたに違いないとも思い、複雑な気持ちになりました。

ただ、番組で傷ついた人々が声を発し、その声に対し表現側が公的な説明をするという仕組みができることは、率直に良いことだと思います。

現在でもそれなりの影響力を持っているテレビや新聞、雑誌その他のメディアでは目に見えない多くの表現規制があるはずです。その一方、例えば福島第一原発事故を巡るいわゆる放射能デマのように、産業や生活への風評被害を煽り、困惑した人々に対して、多くのメディアは誠実な対応を怠ってきたとは言えないと思います。

仮に傷ついた人がいたとして、声が大きい影響力ある意見には理由も説明も無く屈して表現の旗を降ろし、無視できる声に対してはいかに彼らが傷ついたとしても無視し続けるという態度には、好感が持てません。

大切なのは、表現をした人、表現に傷ついた人が、表現の意図や表現で生じる弊害などについてきちんと意見を交わし、問題点を整理することでしょう。その上で、問題となった表現そのものを差し止めるのか、表現を残した上で謝罪や賠償を通じて傷ついた権利の回復を図るのか、表現そのものも残すのか、きめ細かい対応を取るべきなのだと思います。

少し周りを見回せば、自分にとって不愉快な表現はメディアに満ち満ちています。しかし、それが個人的な感情に過ぎないのか、社会的な問題の一つなのかは、なかなか判断が難しいところです。また、その表現にどのように対応すべきかも、千差万別だと思います。その意味では、唯一の正しい正解があるとは限らないはずです。

だから、緊急性が高い場合を除き、一つ一つのケースで議論を重ね、かつそれをできるだけ公開することによって、少しずつコンセンサスとルールを作っていくことが求められるのでしょう。ともあれ、かつて笑っていた「保毛尾田保毛男」から真面目なことを考えさせられるとは、当時を振り返ると隔世の感があります。。。

【参考記事】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171013-00000113-sph-ent
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進まぬ実態。犯罪被害者への賠償と補償 [その他]

犯罪被害者への経済的支援の記事が印象的だったのでシェアします。

【参考記事】
https://news.biglobe.ne.jp/trend/1001/bdc_171001_2420581420.html

犯罪被害者が経済的給付を受ける主な制度として、一つには、国の犯罪被害者等給付制度、もう一つが犯人に対する別途の民事訴訟があります。また、民事訴訟を補完するものとして、一部の重大犯罪では刑事事件の審理をそのまま継続して損害賠償について審理する、損害賠償命令制度があります。

ただ、いずれも、金額面の上限や、手続きの複雑さ、そして何より犯人の財産や資力の不足から、十分な手当てが受けられていないのが現状です。

記事によれば、損害賠償や示談金を満額受け取った被害者はゼロ。一部北欧などで採用されているとされる、確定判決があれば国が税金でそれらの金額を肩代わりして払ってくれる制度などを紹介し、被害者支援のさらなる拡充を訴えています。

個人的には、刑事訴訟での審理が進み、心証がある程度形成された段階で、有罪判決を待たずに、被告人の財産処分を一定限度制限する仕組みを作り、賠償の資力を確保する方策を考えてもよいと思います。また、独禁法違反や税法違反などの経済犯罪や組織犯罪における不法収益の没収を強化し、他の犯罪被害者へ補償する原資としての基金を設けてもよいでしょう。

犯人に賠償させる仕組みの強化と、社会的に被害者を支える仕組み、車の両輪が必要なのだと改めて思いました。

タグ:犯罪被害者
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共同体と個性~古代ギリシアを例に~ [その他]

ツキディデスの『歴史』と、 アリストファネスの喜劇『雲』&『女の平和』を軸に。

前者は、ペロポネソス戦争(紀元前431年 - 紀元前404年)の同時代史である。
ざっくり2500年くらい前で、中国では春秋時代が終わって、戦国時代の初期あたり。

ギリシア都市国家の二雄、アテナイとスパルタ(ラケダイモン)が、あるいは
自国の野心から、あるいは相互の同盟市に引きずられ、ずるずると、全面戦争を
おっぱじめる。

世界史上まれに見る直接民主体制を敷き、ペルシア戦争で勇名を馳せた海軍力
で地中海東部に海洋帝国を現出したアテナイと、寡頭体制の強力な陸軍国である
スパルタとでは、戦争の性質も、徐々に共同体の本質がにじみ出ざるを得ない。

途中休戦を挟みつつ、あるときは名将ブラシダスの活躍でスパルタが有利に立ち、
またあるときはペロポネソス半島西岸のピュロスをアテナイが包囲降伏させるなど、
戦況は一進一退。

この膠着をぶち壊したのが、アテナイのアルキビアデスだった。

彼は、能力と財力と人脈でアテナイ政界を主導すると、アテナイの総力を挙げた
シチリア遠征を決定し、司令官となる。ところが、遠征途中国内で失脚の可能性が
浮上すると、さっさと遠征隊に見切りを付けて、単身敵国のはずのスパルタへ。

スパルタでは、アテナイの急所とも言うべき地に要塞を建築させ、さらに、
スパルタの為と称してペルシアの将軍に接近しつつ、アテナイへの帰還にも
望みを抱いている。売国奴と言うのは簡単だが、複雑きわまりない。

結局、シチリア遠征隊はほぼ全滅し、艦隊や重装歩兵に大損害を受けたアテナイは、
以降守勢を強いられることになる。また、『歴史』ではそこまで触れられてないが、
この大戦はアテナイの完全降伏で終わる。スパルタからすれば、派手なオウンゴール
であろう。

アルキビアデスは、アテナイで頭角を現したのはもちろん、スパルタでも、
ペルシアの将軍相手にも、それなりの処遇を受けたのだから、おそらくは、
どこでも通用するブリリアントな能力と個性の持ち主だったはずだ。

だが、アテナイは、遠征途中の司令官である彼を失脚させようとするなど、彼の能力を
活かすことはできなかったし、彼もまた、失脚の危機が訪れると、あっさりスパルタに
乗り換えてみせた。

そこからは、あまりにも自由な民主政体の機能不全と、それが育んだ個人主義が
透けて見える。

アリストファネスの喜劇は、まさにこの時代に書かれた。
人物や事件に、ペロポネソス戦争の事実がそのまま使われている。
『女の平和』なんてテーマそのものがそれだし。

おそらく、現代では、国家が遂行している戦争をそのまま喜劇にすれば、
不謹慎のそしりを免れないだろう。この点をとっても、当時のアテナイの
文化的な自由さが窺える。

自由が無ければ人材は育たないだろうが、自由は人から共同体へのリスペクトを
失わしめるものだと思う。

ちなみに寡頭制スパルタは、戦勝後あまりぱっとせず、ギリシア内の都市国家相互の
覇権は、曲折を経て、最後マケドニアのアレクサンドロス大王が飲み込むことになる。

アルキビアデスとアリストファネスの喜劇を生んだアテナイの興亡は、
共同体と個性の両立の難しさを考えさせられる。

さて、今の日本はいかがであろうか、などと思ってみたり。

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事実は一つ。では真実は? [その他]

一方から見れば、「違法な天下りの推進」だし、
もう片方から見れば、「面倒見のよさ」。

一方から見れば、「破廉恥な出会い喫茶の常連」だし、
もう片方から見れば「真摯な貧困調査」。

一方から見れば、「岩盤規制の温床」だし、
もう片方から見れば「行政への介入を守った」。

面白いのは、いずれも事実は同じだということ。
見る視点が異なるから、評価は180度異なる。

誰もが、自分ないしは自分の意見に同調する視点が唯一のものだと、
考えがちなのではないか。

とはいえ、自分と異なる視点の人も、この世にはたくさんいて、
別に彼らが悪の権化というわけではない。

大事なのは、自分がどの視点にいるのか自覚しておくことと、
その視点が唯一絶対のものではないと認識しておくことだと思う。

互いに自分の視点をずらしてみれば、異なる視点同士で、
意見が一致するところを見出すことも不可能ではないはずだ。

もっとずるく立ち回るのならば、それらをわきまえた上で、
相手や目的に応じ使い分けるのが よろしかろう。

ミステリーでは、真実は一つといわれるが、どうもそれには懐疑的だ。
実際は、事実は一つで、真実は視点の数だけあるのではないか?

そんな藪の中めいたことを考えた今日この頃なのです。

その心余りて言葉たらず [その他]

先日ふとだらだらと和歌を読む機会があり、いろいろあれど、
やはり在原業平が好みであると分かる。

高校時代教科書で読んだのがきっかけ。

それとなく面白く感じ、小遣いを工面して『伊勢物語』全文を買って読んだり、
国語の課題作文を全て伊勢物語調の擬古文で書いてみたり。

伊勢物語の中身や和歌の細かい文言などはほとんど忘れてしまっていたが、
老舗すっぽん屋の使い古した土鍋から立ち上るような、和歌の香気だけが、
そこはかとなく思い出される。

いろいろあるけど、最近の気分では以下の三首。

  月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして
  
  忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見むとは

  つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日けふとは思はざりしを

古今集の割には技巧が少なく、直球なのが良い。
また、背景事情を知らなくて誤読しても、それなりに意味が通じるのも素敵だ。

古今集の序文では、編者の紀貫之に、

「その心余りて言葉たらず しぼめる花の色なくて にほひ残れるがごとし」

などとdisられていたが、三十一文字で完成しきった世界の中より、
むしろ追いかけても実在の無い残り香にこそ、心乱される思いがする。

そんな春の夜、業平の歌をもう一つ口ずさみながら眠りにつくとしよう。

  惜しめども春のかぎりの今日の日の夕暮にさへなりにけるかな

おやすみなさい

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