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【読書】フィリピン―急成長する若き「大国」 [読書]

日本では、フィリピンの一般的なイメージというと、バナナやフィリピンパブ、そしてかつてのマルコス政権や現在のドゥテルテ政権など、経済的に豊かではなく、不安定な政権と強権政治のイメージが強いと思います。しかし、2000年代以降の政治の相対的安定を背景に、現在、フィリピンは順調な経済成長を果たしているようです。

背景の一つは、人口増加と人口構造。フィリピンの人口はすで一億人を越え、ASEAN諸国ではインドネシアに次ぐ人口大国です。また、生産年齢人口比率が上昇するいわゆる人口ボーナス期が、2050年ころまで続きます。もう一つが、国民の高い英語力を背景とした、海外への労働力輸出と、コールセンターなどのBPOの受注拡大による、可処分所得の向上と、それによってもたらされる個人消費の拡大。さらにもう一つ、相対的な政治の安定に伴う、財政健全化やインフレ抑制といったマクロ経済政策の成功が挙げられています。

とはいえ、スペイン、アメリカなどの殖民地時代から続く土地制度による貧富の差や、雇用を生むであろう製造業の弱さ、テクノクラートの少なさなど、リスクもあります。

外交・安全保障面では、近年中国の軍事的な威嚇への対処が課題です。日中両国に挟まれ、かつ軍事的にはアメリカでも、経済的に中国を無視できないフィリピンは、地政学的に難しい舵取りを迫られています。

日本としては、フィリピンの経済成長に引き続き手を差し伸べ、あるいは利用しつつ、相互の分業体制を作るとともに、中国の軍事力誇示に対して共同戦線を作りたいところです。日本とは、ODA等を通じ概ね良好な関係を維持していますが、殖民地支配などの歴史問題を抱えていることも事実です。中国に付け入る隙を与えないことが必要なのかもしれません。

【書籍紹介】
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/02/102420.html

【読書】我が闘争 [読書]

GW中なので普段読まない本にチャレンジしようと、ヒトラーの『我が闘争』読んでいます。

ヒトラーの生い立ちから、自身が兵卒として参加した第一次大戦を巡るドイツの対応とその問題点の描写、ドイツの抱える問題の背景にいるユダヤ人、そして、それを解決する国家社会主義(≒ナチズム)と続きます。現代日本人にとってはいささか冗長であり、差別的・侮蔑的表現に溢れるのも鼻につきますが、全体の流れや論旨自体は非常にシンプルです。

個人的には、「ユダヤ人」を「グローバリゼーション」に置き換えると、現代のナショナリズムの高まりを『我が闘争』のロジックである程度説明することさえできると思いました。

おそらく、『我が闘争』のシンプルなロジックや明白な答えは、戦争に敗れ、英仏から天文学的な賠償請求をされ、自信を失った当時のドイツ人にとって魅了されるものだったのでしょう。しかし、当たり前ですが、社会問題の多くの原因や背景は非常に錯綜しており、シンプルなロジックで全て解決できるものではありません。

単純な答えを求めるのではなく、複雑な割り切れない状況を一つ一つ解きほぐそうとする大人の知恵の集積こそが、ヒトラーの亡霊を葬る手段なのかもしれないと感じました。

≪我が闘争≫
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89-%E4%B8%8A-%E2%80%95%E6%B0%91%E6%97%8F%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E7%9A%84%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%B3-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/404322401X

【読書】宮澤喜一と竹下登-戦後保守の栄光と挫折- [読書]

「宮澤喜一と竹下登-戦後保守の栄光と挫折-」(御厨貴)がなまら面白いので、 折に触れて読んでいる。

≪amazon≫
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政治史学者の御厨氏は、政治家などからのインタビューを中心に研究をするオーラルヒストリーの第一人者。で、今回は宮澤氏と竹下氏のいわば対比列伝のようなもの。

少壮の大蔵官僚として、池田勇人などとの関係を通じ、戦後間もないころから国家の意思決定の中枢にいた宮澤と、地方議員から、佐藤栄作、田中角栄と派閥を泳ぎ抜き、 一歩一歩総理への道を登っていく竹下。

そのキャリアや政治に対するスタンスは、あまりにも対照的だ。

宮澤には圧倒的な知識とエリートとしての自負、そして合理主義的な判断力があった。

大蔵省の後輩として池田勇人に仕えるが、どこか、部下と言うか、妙に上から目線なのが面白い。当時の大物政治家である緒方竹虎が死んだときに、渋る池田を弔問に行かせたり、 岸内閣の安保改定の際には、通産大臣だった池田を動かして対応のための臨時閣議 を開かせたり、その判断は常に的確である。

しまいには、「イケダユージンという男は、どうして総理になんかなれたんでしょうね」 などと言ってしまう始末。

合理主義である一方で、自分が活躍していない時期、もしくは不本意な時期については、一切黙して語らないのも、らしいといえばらしい。

ちなみに宮澤が語らなかったのは、一つは、GHQとの交渉。もう一つが、三木内閣から プラザ合意のころまでの約10年間、自民党の派閥政治が成熟し完成した時期とほぼ重なる。 派閥均衡でキャリアが決まる自民党政治は、後に派閥の長になる宮澤にとってさえ、あまり 面白くはなかったようだ。

もう一方の雄、竹下は、宮澤のようなブリリアントな要素はほとんど無い。

しかし政党や国会という仕組みをほとんど芸術的なまでに可視化し、システム化し、 そして法則化することに長けていた。

例えば竹下は、政治家や官僚の言動を採点し、そのついた地位を時系列で追い、 グラフ化することで、誰が何年後どのような地位に就くべきかを全て意識していたし、 国会や選挙の日程も常に確認できるように準備していた。

だから、竹下にとって、政治は全て結果が分かっているお見通しの世界なのであり、 国会での議論や政策論争は、お見通しの世界に花を添える演出に過ぎなかった。

意見が無いのではなく、はじめから決まっている意見をいつ言うかというタイミング を窺うことが、竹下の真骨頂である。

「タフネゴシエーターといえば、実は強力なネゴシエーターじゃないんだ。ほんとうは 相手の立場まで下がる、あるいは相手の立場を引き上げていく能力があるということ なんだ」

などの発言からは、宮澤とは全く異なる、しかし高いレベルの知性を感じる。

さて筆者はあとがきで、「政治家は常人ならず」と喝破した。

宮澤も竹下も、政治家として経験を積む中で自分の得意技を磨き、常人の壁を破り、 そして国家の指導者として一時代を築いたと言えるだろう。

21世紀の日本の有権者は、政治に常人を求めすぎているのかもしれない。 しかし、指導者が常人と同じなら、何も指導なんぞしてもらわなくてもいい。

課題が山積する日本社会は、常人から生まれ、常人を超えていく政治指導者を 育てる風土が必要なのかもしれない。それが何なのかは、分からないけど。

二者択一では測れない、中毒学とリスク管理 [読書]

最近読んだ中毒学に関する入門書「からだの中の異物「毒」の科学」が面白かったのでシェアします。

有機化学の基礎から説き起こし、腎臓や肝臓を通じた体内の解毒プロセス、そして不飽和脂肪酸、アルコール、ダイオキシン、放射線など、様々な物質が体に与える影響を丁寧に解説しています。印象的だったのは、ある物質が「含まれているかどうか」ではなく、「どの程度の量で、どの程度の影響が出るか」ということであり、ゼロリスクを求めることは、本書の言葉を借りれば、「科学的に無意味」ということでした。

もっとも、様々な物質が身体に与える影響は分子レベルで確定しているわけではなく、疫学的な相関関係が判明しているに過ぎないものがほとんどです。だから、各種食品や添加物の規制はかなり安全に対して保守的な値が定められるのが通常です。また、確実に影響が出る閾値を下回る場合は、影響が発生する確率が一定程度上昇する、という比較的曖昧なデータしか出すことが出来ないのが現状です。

重要なのは、中毒学など科学を通じてある程度のデータを得たとして、それを評価する人間が、データに対しどのようなスタンスで臨むべきかということだと思いました。奇しくも、福島第一原発事故に伴う放射性物質に対する懸念や、築地市場の豊洲移転に伴う水質の問題など、科学上のデータとそれに臨む人々の姿勢が問われるケースが頻発しています。

ゼロリスクが科学的に無意味であるとするならば、何をどの程度まで許容できると考えるべきか、「〇〇=安全」「△△=危険」と、二者択一に割り切るのではなく、日常の様々な物質の影響などと比べつつ、議論していく必要があると思いました。

【amazon】
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冬に読む、春の琴 [読書]

谷崎潤一郎、「細雪」や「陰翳礼賛」や「痴人の愛」もよいが、
推しは「春琴抄」。

これがよい。

盲目かつ美貌にして傲岸不遜の三味線師匠春琴に、
その幼いときから仕え続けた佐助という男の、
献身的かつ偏執的とも思える愛情を描いたもの。

二人は早くから性的関係も持つのだが、
それは描写されずに、ほのめかされるのみ。
文章中ではあくまでも師匠と弟子の関係に終始し、
春琴の癇癖を、佐助は徹頭徹尾仰ぎ奉る。

そのある意味安定した世界が、一瞬、揺らぐとき。

原因不明の事件ないしは事故で熱湯を顔にかぶり、
美貌が損なわれた春琴に殉じて、
佐助はごく自然に、自らの両目を針で突く。

それを知った春琴は、佐助に、
「それをようこそ察してくれました」
と伝え、「盲人の師弟相擁して泣いた」のである。

この一幕の後、淡々と後日談が語られ、
二人の死にあっさりと触れて物語は終わる。

ほんの一瞬の揺らぎは、それだけに、
たいそう鮮烈だった。

大脳に焼き付けられるような、官能性。

文庫で70ページそこそこの、
言葉の力か。

ところで谷崎潤一郎の小説は、
「細雪」を頂点に、生活の描写が楽しい。

「春琴抄」でも、商家の奉公人の様子や、
三味線師匠へのお中元の話、春琴の鶯道楽など、
往時の商家や三味線師匠の暮らしぶりが伺える。

それによって示される日常性が、
尋常ならざる濃密な愛情劇を現実に繋ぎ止めるとともに、
現実が破れる一瞬を、より印象深くしているのだろう。

日常性の光と愛情劇の闇。

どことなく、バロックじみている。

そうか。
谷崎潤一郎は、バロックなのだな。

などと独断で決めてみることにする。