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きまぐれご近所散歩譚 [日常]

ある休日の昼過ぎ、駅前で、やや遅めのブランチ。
メニューはラーメンと水餃子。佳也。

雲ひとつ無き青空ながら、片雲の風に誘われて、腹ごなしに、
ぶらぶらと散歩をすることにした。

生活上通ったことの無い道を厳選し、自宅まで、遥かに遠回りしてみる。
普段JR沿線を使っているので、京成沿いを歩くことに。

住宅街を歩きしばらくすると、右手遠方に、参道のような石段が見える。
神社か寺か。とりあえず、そこまで。

目の前に屹立する石段は割りと急で、一段辺りがいつもの階段大きい。
はしゃぎながら上り下りする子どもらの様子が横目に小憎らしく、
胸の鼓動を高鳴らせる中年。もちろん、恋ではない。

登りきると流石に景色がいい。ずいぶん歩いた気になる。
広々した境内、寺として、景気もよさそうだ。

説明書きでは、開山当初は真言宗、それから天台宗に移り、現在は、
日蓮宗とのこと、無節操さがいっそ清清しい。

境内をふらつくと、古墳があるとの案内。しかも前方後円墳。
テリーマンによれば地球の鍵穴か。周囲を歩くも、土手があるだけで、
古墳らしきものは見えない。

たぶんその土手がそうなのだろうが、分からないまま終わる、
そんなのはイヤだといっても、仕方がないので、降りる。

寺を降りると、閑静な住宅街。

緑色の小山として見える寺の方角からはカラスの編隊が出撃と帰還を繰り返している。
人の声や自動車の音、姿はあまり見えず、どこかファンタジーですらある。

住宅街を抜けると、ようやく人や自動車の往来、商店などが見える地域に。
そのままちょいと超えれば川だろうが、結構歩いたので、何となく自宅がある方向へ。

住宅街に入って地番の表示を見ながら、だいぶ自宅に近づいてきたと感じていると、
ふと趣きある酒屋が。通り過ぎようとするも、独特の磁力に吸い寄せられる。

何でも、八海山の特約店らしく、八海山をはじめ、日本酒のラインナップがよい。
勝山などもあるではないか。ちらり見やると、イチローズモルトのチラシもあり、侮れない。

おそらく自宅から直線距離で200メートルは離れていないはず。
10年以上住んでるのに、こんな酒屋を知らずにいた。驚き、無知の知、散歩の功徳。

酒屋を辞し、住宅街に分け入り、もう咲き始めた梅の木があるのに驚きつつ、人がすれ違う
のがようやくの狭い路地。行き止まりかとも思ったが、前方から来た人とすれ違った。

路地を抜けると、唐突に、まやかしにあったかのように唐突に、自宅前の景色が現れる。

なんと。

そういえば、結構歩いたので足が不平を言い出している。
帰って昼寝でもしようと、玄関のドアを一人で開けた。

勝手知るはずの
街並み彷徨えば
梅の薫りの
見知らぬ土地か

夏は夜、神楽坂はさらなり [日常]

日が落ちて、少し涼しくなった夏の夜、散策するなら、神楽坂辺りがよい。

生活圏ではないから、気が向いたときにぶらり出歩けば、表通りは、だいぶ明るくのっぺりとしてしまった感が無きにしも。いつの間にか、中華屋の五十番は移転していて、饅頭の販売スペースだけが小奇麗に残っている。

路地に出て、ちょいと薄暗い狭い坂道を縫うと、住宅の合間合間に、ちんまりとした料理屋とかビストロの玄関の灯りがほの見えて、なんというか、心地よい。坂を巡る風などあれば、申し分無い。

そんなとき、行ったことがある店を思いがけず見つけると、つい、吸い寄せられてしまう。例えば、カド。

10年位前、今は四ツ谷のあの人やなんや、五人くらいで押しかけたっけ。確か、沈んだ深い緑色の鮎のうるかに、舌鼓を打ったはず。そんなに、高くも無かったと思う。たぶん。

民家風の戸を開け、畳敷きの座敷の一隅に通され、胡坐をかいた目の前には膳。喉が冷たいものを欲している。ここは、ビールよりも冷酒だ。

その日初めて飲む良い酒は、一口で、味蕾をざわつかせ、全身を覚醒させる。

四畳半と六畳が繋がった座敷、エアコンの風を、30~40年くらい前の扇風機がガタガタ攪拌する中、各々、膳を前にして語らう人々。その声は、不思議と、うるさくは感じない。

膳に上がる酒肴は、若い頃なら、全て一口二口で飲み込んでしまうだろう代物。それを箸の先でついばみついばみ、冷酒と合わせ、味覚に沁み込ませる。

語らう人々を見るとも無く眺め、会話を聴くことなく耳にしているうちに、決して短すぎるとは言えない人生のよしなしごとが、酒の波に乗ってか、ゆらゆらと、寄せては返し、寄せては返し。

まあ、何はともあれ、生きてはいるんだよなあ。

うすぼんやりして杯を重ねているうちに、いつしか、座敷の人々も入れ替わり、自分が古株になったようだ。 畳に根を生やしちゃいけない。コップの残り酒を干し、勘定を済ませ、外へ。ねっとりとした夏の夜風に身を委ね、駅まで、のんびりだらりと坂を下りる。

ふと見上げれば、月は上弦だった。

月を背に
家路へ下りる
神楽坂
手すり代わりに
もたれて夜風

三九、天の赦す所 [日常]

5月11日。多くのメッセージやコメント、メールをいただき、ありがとうございました!この場を借りてお礼申し上げます。

おかげさまで、39歳となりました。

改めて、自分が多くの人々の輪で生かされていることをしみじみ感じました。。。本当に、感謝の言葉もありゃしねえでございますですハイ。。。

正直昨年は、身体的にも心理的にも経済的にもよい状況ではありませんでしたが(いやマジで。。。)、今年こそは、捲土重来を期す足がかりをどうにかこうにか得られればと思っています。

直接お会いする方も、メールなどで連絡を取り合う方も、SNS等でお目にかかる方も、風に噂を聞く方も、袖振り合う縁であった方々は皆私の大切な人々です。そんなみなさんに少しでも楽しいお知らせを届けられるよう生きていくつもりです。

最後の30代、若さと成熟の間を揺蕩いながら諸々頑張って生きてまいります。引き続き、よろしくお願いいたします!

*ちなみに、このブログの題名は伊達政宗の以下漢詩が元ネタです。

馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何

中年漢の一人暮らしざっくり家飯、豆油肉 [日常]

酒を飲むにはやや体調がよくなかった週末会社帰り、最寄り駅の改札を出たところで、ふと、邱永漢氏のエッセー「食は広州に在り」を思い出したのです。豆油肉(タウユウバア)をやってみたくなって。

そこで、ふだんはほぼ乾麺と乾燥ワカメしか買わないはずの近所のスーパーにて、 ネギと椎茸、そして三割引となっていた豚バラの塊を購入しました。 「食は広州に在り」から、レシピを引用すると以下のとおり。

『この肉を三切れか四切れの塊に切って、丸のまま鍋に入れる。別に葱の白い所を三、四本、四、五寸の長さに切ったものをぶちこむ。これに醤油と水を半々の割合で加え、とろ火で何時間でも気長に煮るのである。 』

終了。正直、雑です。

でもこれなら、料理経験がほぼない自分でもできようというもの。 人に食わせるものでもないし。

で、部屋に帰り、いつもは麺を茹でる鍋に肉塊を捻じ込み、適当に切ったネギを入れ、ついでに椎茸を放り、水と、醤油代わりに、あまり使ってなかった麺つゆをどぼどぼと。 米も炊いておきます。

あとはコンロを弱火にして放置。本を読んだりネット見たりのなんだらかんだら、しばらくすると、煮立った麺つゆと豚の臭いが部屋を満たします。

ときおり鍋の様子を見ると、黒々と煮立つ汁に漬かる茹で肉の塊と飴色ネギ。一種ふてぶてしさすら感じます。人に食わせるものでないし、面倒なのであく取りもせず。

三時間ほど煮てみて、ちょいと突付いてみることに。肉塊を削ると、匙でもどうにか、 繊維がほぐれる。とりあえずいいかも。 炊けた白飯を軽くよそい、肉片とくたびれたネギと椎茸を乗せ、煮汁をふりかけます。

なにせ部屋で料理なんてほぼ初めて。醤油じゃなくて麺つゆにしたし、あくもとってないし。。。

おっかなびっくり食らうと、、、なるほど、、、麺つゆと豚肉とネギの味。

全然食える、というかむしろ白飯にかなり合います。いささかしょっぱくてかなり脂っぽいのも、ジャンク感があって悪くない。肉よりもむしろくたびれ不貞腐れたようなネギが美味い。 椎茸も汁を吸っていい感じ。 二口ほどの白飯は高速で消えました。

どうにかなるもんですな。

結構量が残りましたが、この豆油肉、『便利なことは食べ残したものを何度も煮なおしているうちにしだいに味が濃くうまくなっていくこと』らしく、数日は、けじめなく楽しめそうです。

脂ものの片付けが面倒な気もするが、まあ、そこはご愛嬌でしょ。

ちなみに、壇一雄氏の「壇流クッキング」では、『いわば、手いらずの、台湾おでんだ』などと紹介されていましたが、おでんの繊細さに比べるのは、やや申し訳ない感じすらします。

でもまあ、ざっくりなものでも、時と場合と気分によっては、凝りに凝った一品よりも心に刻まれることだってあるのだから、なべて物事は馬鹿にならないもんだなあと思った、冬の中年独り飯でした。

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*画像はイメージです