So-net無料ブログ作成

家族とは [日常]

先日、新郎、新婦ともに面識がある、とある知人の結婚式に行ってきた。

やや右往左往する新郎と、何やら肝が据わった感じのする新婦に加え、
新郎の連れ子が要所要所で心憎く感動を振りまく。

新郎の勤務先の代表が新郎を紹介する際、

 ・通常二人で運ぶ鉄板を一人で運べる力持ちであること
 ・クライアントの注文に対しインターネットで検索してうまく対応できたこと

などのエピソードが紹介され、(もっと褒めるとこあるだろ。。。)と心中突っ込みを
入れてしまったが、式や披露宴、二次会は、楽しい企画はあったが、良くも悪くも平凡。

でも、これはこれで楽しかった。

そして、家族ができていくという現場に立ち会ったことで、何というか、
言い表しにくい、感慨が湧いてくるような気がした。

正直、双方の性格や環境から、彼らが家族を作ることに、部外者ながら不安が
なかったとは言えないし、そう思っていた人は多いだろう。

ただ、個人的には、ここ数ヶ月の間にそういう気持ちが失せていくのも感じていた。

例えば、以前新婦から聞いたこんな話。

同居のために転居し、家具を移動する際に、新郎が家具を足に落として怪我したそうだ。
彼が痛そうにしている姿に、不謹慎ながら彼女は笑ってしまったという。

「一緒に暮らすって、こうやって、面白いと思うつぼが違う人同士が暮らしていくこと
 なんだろうな、って思った」

その表情は、いろんなものがどこか腑に落ちた感じだった。

また、式の途中で新郎の連れ子が読み上げた、

「僕とお父さんは、ずっと二人で過ごしてきました」

という言葉。そこからは、これまでの深い深い寂しさや、これからの暮らしに新婦が加わって、
その寂しさが拭われるという、喜びと期待が滲み出ていた。

何というか、彼らは大丈夫だろうな、と思った次第。

そして不覚にも、家族を作ることに対し、憧れに似た気持ちが一瞬よぎってしまった。
いかんいかん。

身の程を知れと自分に言い聞かせた、ある秋の日のことでした。

nice!(0)  コメント(0) 

週刊誌、残影 [日常]

月村了衛さんの連載小説、『東京輪舞』にちょいと一噛みしたご縁で、しばらくの間、
『週刊ポスト』が届けられる生活が続いている。

せっかくとはいえ、根が怠惰なもので、正味の話、ほとんど記事を読む気がしない。

グラビアと政治と野球と芸能の話がメインで、たまに健康やお受験、あとは連載小説や、
コラム、エッセーなど。ところどころ、over60の熟年AVの広告が光る。

『東京輪舞』を除けば、敢えて読むのは、国友やすゆきの漫画くらい。

おそらくこの手の週刊誌、ターゲットはそれがしのような中年男性のはずなのだが、
どうも食指が躍らない。なんか、見出しだけでお腹いっぱいになってしまうのである。

もう少し寝かせてから読めば、また違う印象にでもなるのだろうか。

そんな思いを抱きながら、これからやってくるであろう週刊ポストを、何とはなしに、
待ってみる日々なのである。

nice!(0)  コメント(0) 

きまぐれご近所散歩譚 [日常]

ある休日の昼過ぎ、駅前で、やや遅めのブランチ。
メニューはラーメンと水餃子。佳也。

雲ひとつ無き青空ながら、片雲の風に誘われて、腹ごなしに、
ぶらぶらと散歩をすることにした。

生活上通ったことの無い道を厳選し、自宅まで、遥かに遠回りしてみる。
普段JR沿線を使っているので、京成沿いを歩くことに。

住宅街を歩きしばらくすると、右手遠方に、参道のような石段が見える。
神社か寺か。とりあえず、そこまで。

目の前に屹立する石段は割りと急で、一段辺りがいつもの階段大きい。
はしゃぎながら上り下りする子どもらの様子が横目に小憎らしく、
胸の鼓動を高鳴らせる中年。もちろん、恋ではない。

登りきると流石に景色がいい。ずいぶん歩いた気になる。
広々した境内、寺として、景気もよさそうだ。

説明書きでは、開山当初は真言宗、それから天台宗に移り、現在は、
日蓮宗とのこと、無節操さがいっそ清清しい。

境内をふらつくと、古墳があるとの案内。しかも前方後円墳。
テリーマンによれば地球の鍵穴か。周囲を歩くも、土手があるだけで、
古墳らしきものは見えない。

たぶんその土手がそうなのだろうが、分からないまま終わる、
そんなのはイヤだといっても、仕方がないので、降りる。

寺を降りると、閑静な住宅街。

緑色の小山として見える寺の方角からはカラスの編隊が出撃と帰還を繰り返している。
人の声や自動車の音、姿はあまり見えず、どこかファンタジーですらある。

住宅街を抜けると、ようやく人や自動車の往来、商店などが見える地域に。
そのままちょいと超えれば川だろうが、結構歩いたので、何となく自宅がある方向へ。

住宅街に入って地番の表示を見ながら、だいぶ自宅に近づいてきたと感じていると、
ふと趣きある酒屋が。通り過ぎようとするも、独特の磁力に吸い寄せられる。

何でも、八海山の特約店らしく、八海山をはじめ、日本酒のラインナップがよい。
勝山などもあるではないか。ちらり見やると、イチローズモルトのチラシもあり、侮れない。

おそらく自宅から直線距離で200メートルは離れていないはず。
10年以上住んでるのに、こんな酒屋を知らずにいた。驚き、無知の知、散歩の功徳。

酒屋を辞し、住宅街に分け入り、もう咲き始めた梅の木があるのに驚きつつ、人がすれ違う
のがようやくの狭い路地。行き止まりかとも思ったが、前方から来た人とすれ違った。

路地を抜けると、唐突に、まやかしにあったかのように唐突に、自宅前の景色が現れる。

なんと。

そういえば、結構歩いたので足が不平を言い出している。
帰って昼寝でもしようと、玄関のドアを一人で開けた。

勝手知るはずの
街並み彷徨えば
梅の薫りの
見知らぬ土地か

夏は夜、神楽坂はさらなり [日常]

日が落ちて、少し涼しくなった夏の夜、散策するなら、神楽坂辺りがよい。

生活圏ではないから、気が向いたときにぶらり出歩けば、表通りは、だいぶ明るくのっぺりとしてしまった感が無きにしも。いつの間にか、中華屋の五十番は移転していて、饅頭の販売スペースだけが小奇麗に残っている。

路地に出て、ちょいと薄暗い狭い坂道を縫うと、住宅の合間合間に、ちんまりとした料理屋とかビストロの玄関の灯りがほの見えて、なんというか、心地よい。坂を巡る風などあれば、申し分無い。

そんなとき、行ったことがある店を思いがけず見つけると、つい、吸い寄せられてしまう。例えば、カド。

10年位前、今は四ツ谷のあの人やなんや、五人くらいで押しかけたっけ。確か、沈んだ深い緑色の鮎のうるかに、舌鼓を打ったはず。そんなに、高くも無かったと思う。たぶん。

民家風の戸を開け、畳敷きの座敷の一隅に通され、胡坐をかいた目の前には膳。喉が冷たいものを欲している。ここは、ビールよりも冷酒だ。

その日初めて飲む良い酒は、一口で、味蕾をざわつかせ、全身を覚醒させる。

四畳半と六畳が繋がった座敷、エアコンの風を、30~40年くらい前の扇風機がガタガタ攪拌する中、各々、膳を前にして語らう人々。その声は、不思議と、うるさくは感じない。

膳に上がる酒肴は、若い頃なら、全て一口二口で飲み込んでしまうだろう代物。それを箸の先でついばみついばみ、冷酒と合わせ、味覚に沁み込ませる。

語らう人々を見るとも無く眺め、会話を聴くことなく耳にしているうちに、決して短すぎるとは言えない人生のよしなしごとが、酒の波に乗ってか、ゆらゆらと、寄せては返し、寄せては返し。

まあ、何はともあれ、生きてはいるんだよなあ。

うすぼんやりして杯を重ねているうちに、いつしか、座敷の人々も入れ替わり、自分が古株になったようだ。 畳に根を生やしちゃいけない。コップの残り酒を干し、勘定を済ませ、外へ。ねっとりとした夏の夜風に身を委ね、駅まで、のんびりだらりと坂を下りる。

ふと見上げれば、月は上弦だった。

月を背に
家路へ下りる
神楽坂
手すり代わりに
もたれて夜風

三九、天の赦す所 [日常]

5月11日。多くのメッセージやコメント、メールをいただき、ありがとうございました!この場を借りてお礼申し上げます。

おかげさまで、39歳となりました。

改めて、自分が多くの人々の輪で生かされていることをしみじみ感じました。。。本当に、感謝の言葉もありゃしねえでございますですハイ。。。

正直昨年は、身体的にも心理的にも経済的にもよい状況ではありませんでしたが(いやマジで。。。)、今年こそは、捲土重来を期す足がかりをどうにかこうにか得られればと思っています。

直接お会いする方も、メールなどで連絡を取り合う方も、SNS等でお目にかかる方も、風に噂を聞く方も、袖振り合う縁であった方々は皆私の大切な人々です。そんなみなさんに少しでも楽しいお知らせを届けられるよう生きていくつもりです。

最後の30代、若さと成熟の間を揺蕩いながら諸々頑張って生きてまいります。引き続き、よろしくお願いいたします!

*ちなみに、このブログの題名は伊達政宗の以下漢詩が元ネタです。

馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何