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【雑感】山口敬之氏のいわゆる「レイプもみ消し」について [事件]

■伊藤さん「抵抗した」 性暴力訴訟 「法に触れず」山口氏反論
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201907/CK2019070902000317.html

立証過程を見てないので推測だが、山口氏が酒に酔った伊藤さんに性的な接触をしたのはほぼ間違いないだろうし、その後の自己弁護的な発言や名誉棄損での提訴も、個人的な感情として正直カッコ悪いとは思う。事実認定次第ではあるものの、個人的には、何らかの責任を負うべきではないかとすら思う。

ただ一方で、本件、準強姦罪の刑事事件として山口氏を起訴できるだけの証拠が無いと判断されたこともまた、厳然たる事実である。

山口氏への逮捕執行が取り消されたこと、そしてその背景に菅官房長官や内閣官房の幹部と密接であるとされる警視庁刑事部長(当時)の指示があったことに、不透明さを感じるのは当然だ。しかし、それを「レイプもみ消し」というのはちょっと違うんではないかと思うし、その上で、この件を官邸の指示によるスキャンダルに繋げて議論するのには無理があるのではないかと思う。

理由は、本件の刑事手続きに、違法ないしは著しく不当なところがあるとは言えないからである。具体的には以下列挙するとおり。

・逮捕されなかった山口氏による逃亡・罪証隠滅がなされたわけではなく、山口氏は事情聴取などの任意捜査に協力しており、結果的に逮捕が不要だったこと
・警察による事件送致(いわゆる書類送検)後、検察官による不起訴の判断がなされていること
・もし捜査が不十分であるなら、検察は警察に再捜査を命じるか検察自ら捜査を行うはずだが、その形跡はないこと
・検察官による不起訴の判断に対し、検察審査会での審査も行われており、不起訴が相当との判断が改めて下されていること

つまり、逮捕執行の取り消し自体は、警視庁刑事部長の介入というある意味異例のことではあるかもしれないが、報じられているその後の推移を見る限り、元々逮捕が不要な事案であると言えるし、かつ、準強姦事件の捜査、および起訴の判断は、現行法に基づいて遺漏なく行われていると言える。

もし、逮捕をしなかったことで山口氏が海外に逃亡していたり、伊藤さんに連絡を取って被害届を取り下げるよう圧力をかけたりしていたとすれば、逮捕をしなかった責任が問われるのは間違いない。また、山口氏の行動により捜査が不可能になり送致ができなくなったとすれば、やはり逮捕しなかった責任が問われうるだろう。しかし、実際には警察段階での捜査は無事終結し、その結果は検察に送致されている。

また、警察の捜査結果を受けた検察が起訴・不起訴の判断をするにあたり、贈収賄や脅迫などの不当な影響力が働いた事実は今のところ認められないし、検察審査会の審査においても同様である。

結局、公開されている情報を前提に考えると、本件はもみ消されたわけではなく通常通り事件として捜査され、現行法にのっとって起訴・不起訴の判断が行われたと考えるべきであり、そのプロセスに特に違法性や著しい不当が見られるわけではない。したがって、「レイプもみ消し」は事実と異なると言わざるを得ない。また、捜査・起訴のプロセスに、違法性やそれに準ずるような著しい不当性が無いのなら、山口氏個人の行動についてはともかく、首相官邸のスキャンダルにはなりえないのではないかと思う。

もちろん、酒に酔って動けない女性をホテルに誘って性的な行為に及ぶのは非難されてしかるべきである。

ただ、刑事事件は「合理的な疑いをいれない」レベルでの高い証明基準が課されるため、証拠が少なければ有罪にすることはできない。また、例え憎むべき犯行であったとしても、証拠が少ない場合の見込みでの起訴は許されるべきではない。

その意味では、本件を民事事件で争うのは、性犯罪の被害者支援の一つの在り方として前向きに考えてよいと思う。刑事と異なり、民事の証明基準は「証拠の優越」であり、要は立証において相手方よりも相対的にわずかでも説得力があればその事実が認定されるからである。

ただ、一般論として、被害者が民事で争うにもハードルはある。訴訟手続きの煩雑さはもちろん、証人尋問等で性被害の記憶を再現させられるのは、大きな苦痛だろう。その意味では、民事手続きにも改善の必要があるのは間違いないはずだ。

不同意性交罪の新設が折に触れ議論になるように、性犯罪が話題になるとき、どうしても、刑法での構成要件や刑事手続きに目が行きがちである。しかし、性犯罪の被害者を支援する仕組みとして、刑事手続きは万能ではありえないし、むしろ様々な制約があって使いにくいとすら言える。

性犯罪に対する義憤および処罰感情の満足や、かこつけた政権批判の道具にするには、性犯罪被害対策はデリケートに過ぎると思う。やはり、民事手続きをはじめ、どうすれば性犯罪被害者に適切な支援が与えられるか、刑事手続きを超えて、総合的に考えるべきなのだとは思う。

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【読書】かなわぬ夢、檀一雄との一献 [読書]

『美味放浪記』(檀一雄)読了。なかなかに楽しかった。

既読の『火宅の人』『リツコその愛・リツコその死』では、天然の旅情とやらの狡さやえぐさがやや身につまされるような思いで面白苦しかったが、『壇流クッキング』や『美味放浪記』には、愉快さ痛快さが先行し安心する。

『美味放浪記』は国内外の旅と食の思い出をひたすら連ねているものだ。

太宰治と一緒に新宿の露店で買った毛蟹を歩き食いしたり、リスボン・パリ間の一等列車でむくつけき男どもが盗んできたというハモン・セラーノを削り削りともに舌鼓を打ったり、若き日に満州で間借りしたロシア人夫婦の家でボルシチを盗み飲みしたり。

開高健のように精緻な精妙な味の描写があるわけではなく、吉田健一のような自信と教養に裏打ちされた暖かさを感じるわけではないが、これはこれで印象的だ。

そうかと思えば、朝鮮半島のオンドル小屋に思いを馳せ、

「自分の死にまっすぐ直結するような、簡素で悠々たる自分の人生を作り直してみたい」

などと、ふと我に返って見せるから油断ならない。

清浄な水を床にぶちまけて行くとこまで行ってやれ、そんな潔さと強さとどうしようもなさとその自覚を、檀一雄のエッセイからは感じてしまうのである。

さて、文は人なり、とはいう。

だがかつて邱永漢は、檀一雄を評して、その文章よりも人間のほうがはるかに面白いと言ってのけた。生きていたら、一緒にだらだらと飲みにいったら楽しかろう、そんなことを檀一雄に対して思った次第なんである。

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不同意性交罪、刑事司法への過剰期待の懸念 [警察・刑事手続]

性犯罪の無罪や不起訴がニュースになるたびに話題になるのが、いわゆる「不同意性交罪」を伴う刑法改正である。最近では、参議院議員選挙を前に共産党が不同意性交罪の新設と考えられる内容を公約に掲げたことで話題になった。

具体的な条文構成案が誰かから示されているわけではないので詳細は分からないが、要は、「当事者の同意が証明できない性交を処罰対象としよう」とする趣旨だと思われる。

まあ、一般的にありうる類型なのが、男性による暴行・脅迫を伴わず、女性が本心では好まなかった性交をした場合に、男性が処罰対象となる、といった形だろうか。

確かに、現行の強制性交罪の条文では「暴行・脅迫」要件があり、しかも捜査および裁判実務上この「暴行・脅迫」として求められる要件が高いとされ、特に、女性被害者が被害を訴えても、暴行・脅迫があったとは言えない、もしくは暴行・脅迫の程度が低いとして、証拠不十分の不起訴ないしは無罪とされるケースが問題視されてきた。

ちなみに、「暴行・脅迫」が無くても性交が犯罪になるものとして、現行刑法上以下のものがある。
・同意の有無にかかわらず、13歳未満との性交
・心神喪失ないしは抗拒不能に乗じ、ないしは心神喪失ないしは抗拒不能にさせた上での性交
・同意の有無にかかわらず、監護者が自ら監護する18歳未満の者に対し影響力に乗じて行った性交

ともあれ同意の無い性交は、男女双方にとっても苦痛なものである。では、同意の無い性交はそれだけをもって、刑事罰の対象とし、上記の現行法を超えて、不同意性交罪を新設すべきだろうか。

個人的には、不同意性交を刑事罰の対象としたい要請は理解しつつも、不同意性交罪の新設は筋が良くないと思う。最大の理由は、暴行・脅迫や、性交が犯罪となる上記の例と比べ、同意の有無とその故意という内心の立証が刑事司法の実務上難しいからだ。

例えば、住居侵入罪でも同意の無い住居等への侵入は刑事罰の対象だが、この場合、条文上は同意の有無とは異なり、「正当な理由」となっている。だから、人の住居に入る職務権限などを客観的に証明できるし、そのような権限があったことを誤信する環境も証明しやすい。

また、同意の存在について被告人に立証責任を負わせることは、有罪認定の主張・立証責任をすべて検察が負うとする刑事司法の無罪推定の原則から言って、認められない。なおこの点、刑法230条の2など、現行法でも若干の例外がある。ただそれらは名誉棄損罪など行為そのものが違法である場合の例外であり、性交そのものが原則違法であるという認識および条文構成をとらない限り不可能だと思うし、性交そのものを原則違法化するのは、いささか無茶な理屈ではないかと思う。

もちろん、刑事司法の実務上困難なのはさておき、象徴的にでも不同意性交罪を作り処罰対象を広げるべきという意見については、理解できないでもない。ただ、不同意性交罪の証拠を集めるために捜査で違法な取調べが行われて証言の信ぴょう性が争われたり、検察が公判で立証できずに無罪判決が増えたりすると、不同意性交罪での捜査・起訴が躊躇われて条文が死文化しかねず、逆効果ではないかと懸念する。

このように、不同意性交罪の新設については、個人的には不同意である。それでも、不同意性交罪の新設の声が根強いのは、課題解決の方法としての刑事司法にかける期待が過剰なのがその原因ではないかと思う。

確かに、刑事罰は、存在そのものの一般予防的な効果も大きいし、インパクトもある。しかし、刑事司法だけで性犯罪の被害を減らし、和らげ、できれば無くすことは不可能だと思う。

刑事手続きには、無罪推定の原則をはじめ、被疑者・被告人の権利を守るための様々なルールが存在しており、その遵守が求められる。もちろん、被害者の意向や存在を無視してはならないが、被害者の意向だけが通る手続きでは決してない。被害者がどんなに処罰意志が強くても、刑事裁判で検察官が犯行を証明できなければ、被告人を有罪にすることはできないし、それは決して不当なことではない。

性犯罪被害に対し、刑事手続きには限界があるのである。

誰しも、性犯罪の被害が無くなること、そして、仮に被害が発生したとしても、被害回復が速やかに行われ、被害を受けた方の気持ちが少しでも楽になることを願っているはずである。もし、そのような性犯罪被害の撲滅と被害者の保護が目的なら、限界のある刑事手続きに全てを期待することは誤りだと思う。

性犯罪の厳罰化や実務における認定などの刑事司法をこれからも不断に見直すことは、当然必要だろう。ただそれ以外にもやるべきことはたくさんあるのではないか。例えば、
・被害者を泣き寝入りさせない24時間の相談体制の整備
・民事手続きでのより容易な被害補償制度の整備
・被害者の医療費負担の軽減
・性犯罪への一般的な教育・啓蒙
・再犯を繰り返す人々への医療措置の普及
等々、考えるべきこと、やるべきこと、つけるべき予算はたくさんあるはずだ。刑法改正という一論点だけではない総合的な性犯罪被害対策こそが、求められていると思うのである。


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