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「ばか」はいったい誰なのか。死刑廃止に関する雑感 [政治]

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死刑制度廃止のシンポジウムに関して寄せた、「殺したがるばかどもと戦って」などと表現があった瀬戸内寂聴氏のビデオメッセージが、犯罪被害者の立場から大きな反発を招き、物議をかもしています。

死刑廃止にかける情熱は理解しないでもないですが、もし、シンポジウムの目的が死刑廃止に向けて世論の関心を高めることだとしたならば、作家とはあるまじき、軽率な表現だったことは否めません。また、このメッセージの公表を決めた人々も、その責任は免れないでしょう。

なぜなら、死刑を制度上廃止するためには、現在、死刑の存在を認めている層を説得しなければならないにも関わらず、その人々を「ばか」と切り捨てているからです。もっとも、このシンポジウムの目的が、死刑廃止論者の人々の身内で気炎をあげ盛り上がるためだった、ということであれば、それほど問題は無いのかもしれませんが。

さて、日弁連は先日来「死刑廃止」を宣言したとのことですが、宣言すれば、本当に死刑を廃止できると思っているのでしょうか。思っているとすれば愚昧だし、思っていないとすれば偽善ではないかと首を傾げてしまいます。

確かに、廃止論者の言う冤罪事件や世界的潮流も一理あることは間違いありません。

しかし、冤罪は何も死刑だけの問題ではないし、世界的潮流と言っても、捜査段階で警察等の武器使用で命を落とす被疑者が日本より確実に多い欧米とは、一概に比較できないこともあるのではないでしょうか。

そう考えると、「死刑廃止」という結論だけを声高に主張する廃止論者の言葉は、死刑存置論者の心に刺さることは無く、それ以外の層にも広がらず、 内輪だけの盛り上がりで終わってしまうのではないかと思います。その結果、存置論者、特に現行制度を維持したい層にとっては、実は安泰です。

ただ、現行制度にだって、問題はたくさんあります。

事実上、確定した死刑執行が法務大臣の個人的裁量に委ねられている点は大いに疑問だし、死刑の重大さに鑑みた事実認定の適正性を確保する方策だって取り入れていいはずです。 そもそも絞首刑だって、もっとましなやり方があるのかもしれません。

廃止論者の結論一足飛びの稚拙な主張によって、現行死刑制度の情報公開と改善が阻まれてしまうのが、個人的には、何よりの懸念です。

死刑廃止論者に決定的に欠けているのは、説得とロードマップなのだと思います。

将来的に死刑廃止を目指すとしても、まずは、存置論者でも同意せざるを得ない点を指摘し、 コンセンサスを取りつつ、一歩ずつ死刑の運用や執行が難しくなるような、議論の進め方だって、できるはずです。

個人的に言えば、現時点での死刑廃止の結論ありきの廃止論は反対だし、その意味では存置論者です。しかし、制度改善に伴って死刑の執行件数が減り、結果的に死刑が行われなくなる状態になることについては、必ずしも反対ではありません。

死刑廃止論者の知性を疑うわけではないものの、少なくとも現状のやり方は、素人目に見ても、あまり国民の多くの支持を得られる議論の進め方ではないなあと、老婆心ながら思ってしまいます。

さて、死刑も含めて、ある社会的制度を変えることは、その社会に生きる人々全体にとって、よいことでなければならないと思います。そうであるならば、実現のためにすべきことは、「ばか」と「戦う」ことではなく、そのような「ばか」を説得し、ときには自分の「ばか」な考えも修正しつつ、手を取り合って解決の方法を模索していくことのはずです。

死刑制度がどうなるかは、結局法律をどう変えるかであり、賛否も含めて国民の意思です。誰かを切り捨てる言葉ではなく、死刑に賛成の人も反対の人も、ともに賛同できる言葉から議論を始めるべきだと思います。

【参考記事】
http://www.sankei.com/west/news/161007/wst1610070012-n1.html



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