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素人経済政策、酒税減税 [経済]

税制や財政については(も)素人なんだけど、需要喚起として、酒税の大幅減税はありではないかと、ぱっと思いついた。

国税庁の資料によれば、酒税収入はここ数年1.3兆円で、国税収入の2%弱くらい。だから、大幅減税しても税収に与えるインパクトは少ない一方、乗数効果はけっこうあるかもしれない、と思った次第。

経済的にプラスの効果として、例えば、酒造メーカー視点として、
・酒類の国内消費拡大に伴う、酒造メーカーの売上増および収益の改善
・供給力強化を目指した設備投資の拡大
・日本酒や焼酎の輸出拡大
などが見込まれよう。また、決して小さくないのが、
・酒類を提供する飲食業の売上・収益の改善
があると思う。加えて、酒を飲むとき当然つまみも欲しいから、酒肴の消費拡大による、食品産業全体の底上げも見込まれるんじゃないか。

試算の仕方がよくわからんからはっきり言えないけど、これらは、経済的な効果はもちろん、文化的な意味も含め、減った税収を補って余りある効果を期待できるんじゃないかと思うのである。

実際、酒税はそこそこ取られている。金額で示すと、
・日本酒1合(180cc)で21.6円
・果実酒(ワインとか)の180㏄で14.4円
・ウイスキーシングル(30㏄)でだいたい6.5円
・甲類焼酎(キンミヤとか)シングル(30㏄)でだいたい1.8円
・乙類焼酎(宝山とか)シングル(30㏄)で2.3円くらい
中でも圧巻は、
・ビール350㏄で、なんと、77円

まあ、加えて消費税や輸入酒の関税も入るから、もっと税負担はあるんだが、ともあれ、消費税や法人税や所得税の減税が政治的配慮や国庫収入への不安で難しいなら、需要喚起に酒税減税はどうか、例えば、ビールと日本酒の酒税収入は合計約6600億。これだけでもどうにか、試験的にでも下げられないか、と素人は思ってしまうのである。

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本屋の無い暮らし [生活]

最大で4件ほどあった最寄り駅近辺の本屋が、先日、とうとう全て無くなってしまった。理由はわからないが、とにかくどこも閉店。

正直、残念だ。

本屋に行くときは、たいがい、何かのついで。勤務先からの帰宅途中のときもあれば、日用品や食料の買い出し、外食のときなど。だからかもしれないが、買うべき本を決めていることはほとんどない。

新刊書をざっと眺め流行りの本を確かめたり、ビジネス書や自己啓発本のあたりでは意識低い系たる自分自身を顧みて忸怩たる思いに浸ったり、自分の協力作品が掲載されている雑誌をチェックしたり、児童書の内容のレベルの高さに驚いたり、ドラマの原作となった漫画をつらつら眺めたり、文庫や新書を渉猟したりと、ぐずぐずだらだらと徘徊する。

著者名とタイトルと表紙で本の中身をいろいろ想像するのも楽しいし、気になった本は、立ち読みで、前書きくらいはざっと目を通してみる。古典であったり最先端であったり、もうそれなりに人間をやってきたにも関わらず、世の中には、自分の知らないことがいかにたくさんあることかと感心する。

そして、財布の中身やその月の生活費などを勘案しながら、少しずつ、買いたい本を絞り込んでいく。

新刊の小説はこの間読んだから、今回は古典にするか。前回買ったあの歴史学者の本が面白かったから、今度はその人のエッセーも見てみようか。鎌倉武士の漫画が興味深かったから、鎌倉時代の解説本にしようか。最近人文系の本が多かったから、数学系の話も読んでおきたい。そうそう、美術書にも手を出しておきたいな、、等々、限られた時間とお金を思うと悩みは尽きない。

むろん図書館にも本はあるし、近所に図書館もあるにはあるのだが、僕にとっては、やはり本屋の代わりにはならない。なんというか、お金を出して買う、つまり身銭を切ることで、その本と、そしてその著者と共犯関係になったような、そんな気持ちが味わえるような気がするのである。

Amazon隆盛の現在、本屋で本を買う人は少数派なのかもしれない。だが、僕個人としては、本屋をぶらついて、迷って悩んで本を買うことが好きなのであり、つまり、本屋の喪失は生活水準の低下であって、何よりも寂しく、狂おしい。

近所は、そこそこ人口もいる住宅街のはずであり、どうか本屋が復活せんことを祈りたいのである。

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香港大規模デモ、統治者と被統治者のコミュニケーションの価値 [国際]

いわゆる「逃亡犯条例」の改正を巡って起こった香港のデモは、参加者約200万人という、香港史上最大にして世界的にも稀有な規模にまで達した。

問題となった改正条例案の要点は、香港から中国共産党政権への犯罪者引き渡しを可能にすること。英国系のコモン・ローを採用した法体系を持つ香港において、本来、コモン・ローを共有しない地域への犯罪者引き渡しは否定されており、特に中国共産党政権への引き渡しについては明文で否定されていた。

実際、中国の刑事司法制度に対する香港の、そして国際的な信頼は決して高くない。香港人からしたら、中国の不透明な刑事司法で裁かれる危険が増すことに、素直に恐怖を覚えただろう。

幸いなことに、デモの結果、林鄭月娥・香港特別行政区行政長官が改正条例の審議の延期を表明したが、改正そのものが撤回されたわけではなく、依然予断を許さない状態ではある。

一連の条例改正の流れやデモの動きをざっと見て考えさせられたのは、自由な選挙であったり、政治への報道や批判の自由であったり、つまり、統治者と被統治者とのコミュニケーションの存在の必要性である。言い換えれば、いわゆる近代の自由主義・民主主義の価値と言ってもいいかもしれない。

自由な選挙や自由な政治批判は、統治者から見れば、確かに煩わしいものであるかもしれない。しかし、その一方で、民意を測り、政策の軌道修正を行う契機、すなわちコミュニケーションの指標となるはずだ。それは、天安門事件のような多数の死者を出した悲劇や、多くの人を巻き込む経済的混乱を含む大規模デモや、外国からの人道上の批判や介入に至る前に、被統治者とのコミュニケーションを通じて問題を解決する可能性を開く。

今回香港でかくも大きなデモとなったのは、統治者と被統治者のコミュニケーションのチャンネルが存在しなかったというのが大きいだろう。しかし、コミュニケーション崩壊による悲劇は、中国本土での方が、より大きな影響を与えうる。民衆を軍事力で武力弾圧し、多数の死者を出した89年の天安門事件は、未だに中国共産党政権の汚点であり、共産党政権が改革されない限り、今後もそのようなリスクは大いにあるだろう。

香港に対する、中国共産党政権の影響力は益々高まっているらしい。今回のような大規模デモがもし避けるべきものであるとするならば、その方法は、公権力による監視や統制を強めることではなく、より報道や批判、そしてより小規模なデモを行う自由を保障することがさらに大切なはずだ。

香港のデモを見るにつれ、願わくは、香港を一党独裁の共産党政権で塗りつぶすのではなく、中国本土と比べて相対的には自由かつ民主的な政権運営の経験を通じ、今回のデモが中国本土の体制改革のきっかけに繋がることを心から祈りたい。

そして、曲がりなりにも自由な選挙があり、自由な政治報道や意見表明ができる日本の環境と、立場は様々であろうけどそれを守っている多くの人々に、改めて敬意と感謝を表したいと思った次第である。

<参考記事>
https://blogos.com/article/384590/


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【読書】大人にこそ、物語は必要だ(『機忍兵零牙』) [読書]

『機忍兵零牙(新装版)』(月村了衛)読了。

『零牙』自体は9年前に読んでおり、今回は再読。いやはや、「学びて時に之を習う亦説ばしからずや」という論語の言葉を改めて噛み締める。要は楽しかったのだ。

数多の次元を支配する「無限王朝」に滅ぼされた亡国の幼き姫と王子、そして彼らを狙う無限王朝の走狗としての忍び「骸魔衆」。主人公零牙をはじめ「光牙衆」は無限王朝と戦う忍びの勢力として、亡国の王の願いを聞き届け、姫と王子を守って安全地帯に送り届ける使命を帯び、骸魔の精鋭六機忍と戦うことになる。

「無限王朝」「忍び」「光牙」「骸魔」「六機忍」等々、目で見ただけでも心くすぐる文字列が乱舞する。

光牙と骸魔がそれぞれ生命をかけ、知恵を振り絞り、各自の機忍法で戦う様はまさに手に汗握る。加えて、それぞれ類まれな戦闘力に恵まれながら、ここではない、そして存在すら定かではない<本当の世界>への郷愁に焦がれる光牙の「忍び」たちの言動は、ともすれば戦闘が続く殺伐とした物語に、言いようの無い複雑な陰影を添えてくれる。

光牙者たちが憧れるという<本当の世界>がもし僕らの生きる浮世だとするならば、僕らにとっての<本当の世界>はむしろフィクションの闇の世界なのかもしれないのである。

ともあれ、10代のころ耽読したマイケル・ムアコックの『エターナルチャンピオン』シリーズもかくやという異世界の冒険譚を、絢爛にして流麗、そして耽美な日本語で読めるのは、率直に言って、喜びとしか言いようがない。

良質の物語は、登場人物への試練や艱難辛苦を通じ、人間の生、つまり善も悪も愛も憎悪も優しさも厳しさも悲しさも喜びも、しっかりと思い知らせてくれる。日常生活に埋没し、常なるものを見失った大人にとって、物語を読むことは、人間としての全体性を蘇らせる一つのきっかけになるのではないかと個人的には思っている。

そう。大人にこそ、この世界ではないファンタジー、そして物語が必要なのだ。

『機忍兵零牙』は、周到に編まれた文体による痛快にして痛烈な冒険譚であり、僕らの世界認識に一石を投じる良質のファンタジーであり、そして大人のための物語であると、僕は確信しているのである。

≪amazon≫
https://www.amazon.co.jp/%E6%A9%9F%E5%BF%8D%E5%85%B5%E9%9B%B6%E7%89%99%E3%80%94%E6%96%B0%E8%A3%85%E7%89%88%E3%80%95-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABJA-%E6%9C%88%E6%9D%91-%E4%BA%86%E8%A1%9B/dp/4150313814


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肴と蕎麦とカップ酒、蕎麦一。 [新宿]

酒飲みとして大人の階段を登るとき、ふと、蕎麦屋で一献という飲み方に憧れる時がくるのではないか。池波正太郎しかり、山口瞳しかり、吉田健一しかり、先人達を挙げれば枚挙に暇がない。

焼き海苔ではじめ、板わさ、腹が減ってれば、出し巻き、天ぷらなどもよかろう。お銚子を1本、いや2本ほど空けて、最後に蕎麦を手繰る。蕎麦はもりが基本だろうが、寒いときや身体を温めたいときは、かけも悪くない。さっと食らって、蕎麦湯を飲んで一服し、ほろ酔いで店を出る。

そんな一連の様式美。

雷門の藪も銀座のよし田もよいし、東京近辺なら名店には事欠かないだろうが、新宿なら、そして個人的な好みなら、三丁目、末広亭のはす向かいあたりにある蕎麦一がよいのである。

店内の短冊には、ちょっとした季節の肴がとりどり。夏ならば、みょうがの天ぷらあたりがよかろうか。湯葉刺しも好ましい。時期や場合によってある、氷頭なますやめふんも、物珍しくて悪くない。もちろん、定番の板わさや出し巻きなども素晴らしい。

で、酒。焼酎もあるが、やはり日本酒だろう。蕎麦一には、各地の地酒のカップ酒が用意してあり、これがよろしい。蓋を開けてグッとやると、酒の香りが喉を抜け、酔いがストンと腑に落ちる。ぼんやりと、肴をつまみ、酒を飲む。脳裏に浮かぶよしなしごとのうたかたは、かつ消え、かつ結びて、一切はただ過ぎてゆく。

仕事でも遊びでも学びでも無く、時間が、ただ流れるものとしての手触りで存在する。

時間の流れに存分に手を浸したら、現実がやってくる。蕎麦の時間だ。もりか、かけ。その日の気分で。蕎麦の歯ごたえと解き放たれる香りが、少しずつ、時間の流れのほとりと現実とを収斂させていく。美味しくもどこか儚さが否めない。

蕎麦つゆに蕎麦湯を注いですすり、コクを確かめつつ、蕎麦湯の蕎麦焼酎割を欲しがる気持ちをどうにか宥め、店を出る。そしてときにはその誘惑に身をゆだねてしまうのもまた、味わいの一つだ。

さあ、はしご酒が始まる。

≪蕎麦一(食べログ)≫
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130402/13060971/
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