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共同体と個性~古代ギリシアの場合~ [読書]

最近、やや古代ギリシアづいている。

高校から大学にかけて、プラトンやアリストテレス、ソフォクレスなどはざっくり読んでいたが
最近は、ツキディデスの『歴史』と、 アリストファネスの喜劇『雲』&『女の平和』。

前者は、ペロポネソス戦争(紀元前431年 - 紀元前404年)の同時代史である。
ざっくり2500年くらい前で、中国では春秋時代が終わって、戦国時代の初期あたり。

ギリシア都市国家の二雄、アテナイとスパルタ(ラケダイモン)が、あるいは
自国の野心から、あるいは相互の同盟市に引きずられ、ずるずると、全面戦争を
おっぱじめる。

世界史上まれに見る直接民主体制を敷き、ペルシア戦争で勇名を馳せた海軍力
で地中海東部に海洋帝国を現出したアテナイと、寡頭体制の強力な陸軍国である
スパルタとでは、戦争の性質も、徐々に共同体の本質がにじみ出ざるを得ない。

途中休戦を挟みつつ、あるときは名将ブラシダスの活躍でスパルタが有利に立ち、
またあるときはペロポネソス半島西岸のピュロスをアテナイが包囲降伏させるなど、
戦況は一進一退。

この膠着をぶち壊したのが、アテナイのアルキビアデスだった。

彼は、能力と財力と人脈でアテナイ政界を主導すると、アテナイの総力を挙げた
シチリア遠征を決定し、司令官となる。ところが、遠征途中国内で失脚の可能性が
浮上すると、さっさと遠征隊に見切りを付けて、単身敵国のはずのスパルタへ。

スパルタでは、アテナイの急所とも言うべき地に要塞を建築させ、さらに、
スパルタの為と称してペルシアの将軍に接近しつつ、アテナイへの帰還にも
望みを抱いている。売国奴と言うのは簡単だが、複雑きわまりない。

結局、シチリア遠征隊はほぼ全滅し、艦隊や重装歩兵に大損害を受けたアテナイは、
以降守勢を強いられることになる。また、『歴史』ではそこまで触れられてないが、
この大戦はアテナイの完全降伏で終わる。スパルタからすれば、派手なオウンゴール
であろう。

アルキビアデスは、アテナイで頭角を現したのはもちろん、スパルタでも、
ペルシアの将軍相手にもそれなりの処遇を受けたのだから、おそらくは、
どこでも通用するブリリアントな能力と個性の持ち主だったのだろう。

(ちなみに、アルキビアデスはプラトンの『饗宴』でソクラテス賛美の演説なんか
 をやっている)

だが、アテナイは、遠征途中の司令官である彼を失脚させようとするなど、彼の能力を
活かすことはできなかったし、彼もまた、失脚の危機が訪れると、あっさりスパルタに
乗り換えてみせた。

そこからは、あまりにも自由な民主政体の機能不全と、それが育んだ個人主義が
透けて見える。

アリストファネスの喜劇は、まさにこの時代に書かれた。
人物や事件に、ペロポネソス戦争の事実がそのまま使われている。
『女の平和』なんてテーマそのものがそれだし。

おそらく、現代では、国家が遂行している戦争をそのまま喜劇にすれば、
不謹慎のそしりを免れないだろう。この点をとっても、当時のアテナイの
文化的な自由さが窺える。

自由が無ければ人材は育たないだろうが、自由は人から共同体へのリスペクトを
失わしめるものだと思う。

(ちなみに寡頭制スパルタは、戦勝後あまりぱっとせず、ギリシア内の都市国家相互
 の覇権は、曲折を経て、最後マケドニアのアレクサンドロス大王が飲み込む)

アルキビアデスとアリストファネスの喜劇を生んだアテナイの興亡は、
共同体と個性の両立の難しさを考えさせられる。

さて、今の日本はいかがであろうか、などと思ってみたり。

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【読書】さっさと不況を終わらせろ [読書]

クルーグマンは、2008年のノーベル経済学賞を受賞した経済学の権威でありながら、一般向けにも、非常に平易な言葉で経済政策を語ることができる稀有な存在です。(訳もまたよい)

この本は、リーマンショック直後に世界中で生じた急速な需要縮小、つまり不況への対策として、大規模な金融緩和と財政出動を伴うマクロ経済政策を採用する必要を強く訴えています(ちなみにこの組み合わせ、長期デフレに悩む某国の経済政策と似ていますね)。

もちろん、金融緩和にはインフレのリスクがあるし、財政出動は政府債務の増大というリスクがあります。
しかしクルーグマンは、アメリカや欧州の経済状況を概説した上で、それらのリスクが反対論者が言うほど高くは無いこと、それよりも、不況により職が得られず適切な職業経験が積めない世代が生じたり、教育等の公的サービスが削減されたりすることによって、長期にわたって悪影響が生じることを説明し、それらの問題のほうが大きいと指摘しています。

視点としてユニークなのは、まず、経済をいわば道徳劇として見ることへの懐疑です。例えば、個人としては質素倹約は正しい道徳かもしれませんが、経済全体でそれに従えば、深刻な不況に陥ります。もう一つが、市場原理主義が否定するような、不況から経済を好転させるための政策的な介入をためらわないことです。

もちろん、クルーグマンも政府による経済の管理を認めているわけではありません。その一方で、好景気や不景気の波を完全に放置することには、明確に否定的です。

デフレ不況対策として書かれたこの本は、そのような経済に対する市場と政府の姿勢についての役割や立場を考えさせられる、面白い本でした。

【amazom】
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%95%E3%81%A3%E3%81%95%E3%81%A8%E4%B8%8D%E6%B3%81%E3%82%92%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%9B%E3%82%8D-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4150504237
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【読書】国際秩序 - 18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ(中公新書) [読書]

18世紀ヨーロッパからと銘打っているが、その前史である、三十年戦争を頂点
とした17世紀の宗教戦争や、ハプスブルク家VSブルボン家の対立にも触れ
ており、世界史の復習として大いに楽しんだ。

個人的には、国際秩序は勢力均衡概念以外にありえないと思っていたが、
この本では、「均衡」という力の要素を大前提に置きながらも、「協調」
「共同体」といった国際秩序の形成要因が、歴史上の事例を基に丁寧に
指摘されている。

18世紀は、太陽王ルイ14世のフランスに抗すべく締結された対仏同盟後、
フランス、イギリス、オーストリア、ロシア、そしてフリードリヒ大王
治下で躍進したプロシアの5大国による勢力均衡時代に入る。

勢力均衡の時代は、ある意味寛容と多様性の時代であり、啓蒙思想が
華やかな理性主義の時代であった。大国の君主たちは、パワーバランス
を保ちながら、大国間の大戦争に陥ることなく、秩序を構築していく。

この均衡を破ったのが啓蒙思想の鬼子であるフランス革命とナポレオン
戦争だったのは、大いなる皮肉であった。ナポレオンの軍事的天才と、
革命のナショナリズムによる暴力は、寛容と多様性と理性を、物理的に
引き裂いていった。

壊れた勢力均衡を戻すために、イギリスは幾度にもわたる対仏同盟を
組織し、どうにかナポレオンを封じた後、ウィーン体制が訪れる。

ウィーン体制の立役者は、オーストリア宰相メッテルニヒと、イギリス
外相カッスルレー。彼らの総合的評価はさておき、ナポレオン戦争後の
混乱を大国間の秩序に収れんさせることに成功した。

そこにあるのは、両者のみならずフランスも含め、各国指導者間に共有
された、18世紀的、理性主義的、コスモポリタン的教養であり、敗戦国
フランスに対する戦勝国の自制と寛容である。

このように各国指導者が共通の時代認識を持ち、大国間の会議によって
紛争の解決を模索するとき、そこに均衡を前提とした「協調」の体制が
成立する。

ウィーン体制は30年ほど後、オーストリアの2月革命を頂点に、各国国内
のナショナリズムと君主制への疑問で内政的な危機を迎え、大きく変質
してしまう。変質後の国際秩序を担ったのは、ドイツ帝国宰相ビスマルク。

オーストリア、フランスを破ったプロシアは、ドイツ帝国として
ヨーロッパ中部に君臨する。それは勢力均衡を破り、ナポレオンの
ときのようにヨーロッパは戦乱の巷になる、はずだった。

しかし、ヨーロッパ内のフランス封じ込めを主眼としたビスマルク
外交は、弱体化したオーストリア、帝政ロシアとの同盟、そして
ヨーロッパ域外でイギリスに対する配慮を重ねるという離れ業で、
ヨーロッパでの平和を実現する。

それは、ビスマルクという政治家の個性に依存した「均衡」の体系への
回帰だった。当然、約30年ほど国際社会で力を振ったビスマルク退任後、
この均衡はあっさり綻びを見せる。

急進する国力を背景にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が世界政策を唱える
中、まずフランスがロシアに接近し、三帝同盟の一角が崩れる。また、
世界政策は七つの海でパックスブリタニカを誇るイギリスを大いに
刺激し、瞬く間にドイツは孤立した。

ビスマルクと「協調」を欠いた勢力均衡は、猜疑心による軍拡競争に陥る。
ドイツの友邦は往年の力がもはやない、オーストリア。列強としての地位を
維持したいオーストリアにとり、東欧のバルカン半島へのロシアの浸透は、
我慢ならぬ事態であった。

バルカン諸国は、オーストリアやロシアの力を背景にバルカン戦争で
合従連衡を繰り返す。オーストリアとロシアが列強のメンツをかけて
軍事衝突すれば、それぞれの同盟国ドイツとフランスが戦う。

こうして、第一次世界大戦というヨーロッパ史の一大カタストロフが
始まった。その結果、ドイツ帝国、オーストリア帝国、オスマン帝国、
ロシア帝国が崩壊。代わりに、ヨーロッパ域外のアメリカ、そして日本
が国際社会で台頭することになる。

戦後の国際秩序は、ウィルソン率いるアメリカが主導することになった。
国際秩序の舞台が、ヨーロッパから大西洋に代わる。

ウィルソンは、ヨーロッパ流の勢力均衡政策を大戦の遠因として排斥し、
その間隙を埋めるものとして、国際連盟を創設。ここに国際秩序は、
「共同体」の考え方を取り入れることになる。

ただ、勢力の「均衡」を完全に否定するウィルソンの「共同体」構想は、
アメリカ国内での挫折に加え、ナチスドイツと日本の台頭に対し、あまりに
無力であった。

そして、第二次世界大戦。

戦後の冷戦秩序は、主に全面核戦争の恐怖とともに語られることが多いが、
そこには、米ソの微妙な「均衡」と「協調」とそして米ソともに常任理事国
である国際連合という名の「共同体」が存在し、全面的な破壊を免れていた
という、著者の指摘は面白い。

冷戦後。

国際秩序はヨーロッパを超え、中国の台頭とともに、太平洋が主役に躍り出る。
太平洋の力の実態は、日米中であるが、この3国には、ウィーン体制における
列強のような共通の認識が無く、裸の勢力均衡しかない。

「協調」の無い勢力均衡は、第一次大戦前夜のヨーロッパのような、猜疑心と
軍拡競争に陥り、全面戦争のリスクが高まる。

この地域に、「協調」や「共同体」が作れるか否かが、今後の課題なのだろう、
のような感じで本書が締められている。

などと、歴史のおさらいと、今後の国際秩序の一つの見方を面白く学んだ。

ふと思ったのが、紀元前5世紀から3世紀における、シナ大陸の戦国時代。
あの時代の割拠も、かなり国際秩序のようなものになっていたはずだ。

にも関わらず、国際秩序は近代ヨーロッパから考えられる。シナ大陸が
統一と分裂の両極端を繰り返したのは何故だろうか。

近代ヨーロッパを思いながら、東西の違いを考える宿題も背負った気がする。
ま、折に触れて調べてみましょ。

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【読書】ペニンシュラ・クエスチョン [読書]

『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(船橋洋一)がやはり面白い。

小泉訪朝前後から2000年代半ばころにかけての、朝鮮半島外交のクロニクル。
日、米、韓、中、露、そして北朝鮮。プレーヤー達の思惑が交錯する。

北朝鮮の核開発に際し例外を認めない不拡散派と、
柔軟な関与政策を模索する地域派が対立し、対応が二転三転するアメリカ。

絶大な影響力を保持しながらその維持のために強硬に出られない中国。

小泉訪朝で正常化に大きな一歩を踏み出しながら、
拉致問題で紛糾した世論を収拾できない日本。

ナショナリズムの高揚で、日米との関係悪化を余儀なくされる韓国。

そして、小泉訪朝や六カ国協議という近隣国との関係改善の機会を、
一貫して失い続けた、北朝鮮。

北東アジアに蔓延る相互不信という基調低音に、
いささか暗い気持ちになる。

普仏戦争、2度の世界大戦で仇敵となったドイツとフランスが、
どのように手を携えてEUの中核になったのか、欧州の例を紐解きたい気分。

さて、『通貨烈々』も『同盟漂流』も、船橋洋一氏のノンフィクションは、
超人的な英雄が作るのでもなく、個人が時代の流れに埋もれるのでもない、
リアルな歴史であるように感じる。

あえて例えるならば、こっくりさんか。

各プレーヤーの指は真ん中の硬貨に様々な力で働きかけるが、
硬貨は、彼らの思いもよらない姿を描いてみせる。

彼らの現場で必要なのは、心地いい、カッコいいスローガンに酔わず、
不愉快な状況に耐えて物事を進めるスタイルなのだろう。

巷に流れるカッコいい言葉達に、わずかばかりの疑いを。
そんな気持ちにさせられた。

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【読書】消された一家~北九州連続監禁殺人事件~ [読書]

年末年始には、『消された一家~北九州連続監禁殺人事件』を読んでいました。作者の豊田正義さんには少し面識があるので、何となく読むのを控えていたのですが、大変興味深く読み終えました。

一人の男のマインドコントロールにより、最初の事故死をきっかけに、殺しあう父、母、娘とその夫と孫達。殺すだけでなく、証拠隠滅を図った遺体処理。主犯の松永死刑囚は、暴力と虐待で文字通り「忖度」させることで、自分の手を汚さずに、人々を追い込んでいきます。そこには、松永死刑囚はじめ、人間が持ちうる限りの弱さ、哀れさ、残酷さが凝縮されているように感じました。

また、同じ人間である以上、自分の中にも、この事件関係者のような弱さや残酷さが同居しているのだと思います。自分が被害者、あるいは加害者になりそうになったとき、どうするだろうか、自分の中に問いかけずにいられませんでした。

ともあれ、これだけ複雑で陰惨な事件を文庫本一冊にまとめ、かつ読みやすく分かりやすく書く豊田氏の力量には、率直に感嘆させられます。残酷な描写が苦手な人にはお勧めできませんが、人間の一つのあり方を考えさせるには、良書だと思いました。その意味では、大人の道徳の教科書なのかもしれません。

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